まーヴのタンザニア暮らし

アフリカ、タンザニアでの留学生活ブログです

おててのぬくもりをあなたに

こんにちはまーヴです!
およそ一ヶ月前にタンザニアから帰国しました〜

 

タンザニアにいるときは

「日本の生活にはもう二度と戻れまい…」

と思うのですが、帰国してみると哀しいかな

身体にはすっかり日本の生活リズムが染み付いているらしく、

時間のない朝などは起床して15分以内に身支度、そして

タンザニア滞在中には一度もしなかったお化粧すら済ませてしまう

素早い身のこなしをみせる私です。

 

満員電車の中で足を踏まれてむっとしたり、

眉間にしわを寄せた厚化粧のお姉さんに無言でぐいぐい押され負けじとヒップアタックをきめたりするのにまーヴは毎日忙しくしています。

 

こんな毎日を送っていればタンザニアにいたのは夢なのでは?はて

と思ってしまうのも無理ないのかもしれませんね。

一ヶ月経った今、常夏の国タンザニアでの生活はもはや白昼夢です。

 

船の上ではタバコや酒を常用する船乗りも、

陸地に戻るとそれらを一切欲しいと感じない

という話をどこかで聞きましたが、まさにそんな感じと言いましょうか。

人の習慣は場所に既定されていて、

我々はそんな場所のもつ特性に身を任せるほかないのであります。

(そんな私は最近日本でも化粧をやめつつありますが)

 

 

前置きはこの辺に、今日は日本からの更新で

私の作っているアクセサリーの紹介をしようと思います^^にこにこ

 

 

 

え!あのガサツなまーヴが??!

アクセサリーなんて繊細なもの作るのかよ??!マジかよ!!

という声が聞こえてきそうですね。

そう、作ってるんです、実は、こそこそ、ちこちこ。笑

 

 

今年の夏タンザニアに行ってやることリストの一つに

タンザニアでのパーツ調達」がありました。

タンザニアのアクセサリーといえば、マサイのカラフルビーズ、

レザーに愛国心丸出しの国旗がビーズであしらわれたブレスレット、

牛の骨で作ったピアス、バナナリーフでモチーフを作ったピアス…etc

 

ざっとこんな感じでしょうか。

どれも西洋人観光客に大人気で、私も留学中に数え切れないほど買いました。

(この時の値段交渉が本当に疲れる。

スワヒリ語が話せなければその値段は10倍くらいに釣り上がること間違いなしであ〜る。)

 

しかし!!

これらのアクセサリー、自国に持って帰ってもあまり使えないんですね〜

超ヒッピー的ファッションを普段からしている人ならともかく、

西欧諸国や日本のわりかし小綺麗ファッションには

あまりマッチしないのです・・・

 

そんなわけでっ!タンザニアの情緒を残しつつも

普段のファッションにも取り入れられるように

デザインしましたアクセサリーがっ

今回ご紹介しますこちらの商品です!!!!

ただね、大変っ申しわけございません!(ひときわ大きな声で)

今回ね、数に限りがあるんですよ〜!!

というのも!

あの!タンザニアの!黒檀職人さんが!

なんとっ!今回のためにトークベーツゥーに!

オォーダーメイドで作ってくださったのがっっ

こちらのっ商品なんですっ!!!!

(ラジオの聞きすぎでジャパネット高田風になってしまった)

 

 

おふざけはさておき。

そうです、今回黒檀職人さんとのコラボアクセサリーを作ってみました^^

タンザニア大好きっ子お馴染み、ダル大近くのMwenge Vinyago、

通称Makonde Villageの職人さんにオーダーし、パーツを作ってもらいました。

※Makondeは日本語で黒檀の彫り物

 

こちらが職人のWilliamおじさんです↓

 

f:id:mavbrown:20151019205313j:plain

ちこちこ

 

できあがったパーツがこちら↓

f:id:mavbrown:20151019210246j:plain

 

f:id:mavbrown:20151019212511j:plain

(なんかイケメン風に写ってるな!)

 

これらの黒檀パーツに合わせて、私が日本で調達した

天然石やコットンパールを組み合わせてデザインしました。

日本はもうじき秋が過ぎ冬が来る〜

ということで、Autumn/Winter コレクションです☆きらっ

 

 

f:id:mavbrown:20151111120743j:plain

f:id:mavbrown:20151111121443j:plain

f:id:mavbrown:20151118110529j:plain

f:id:mavbrown:20151118110903j:plain

 

f:id:mavbrown:20151118111416j:plain

f:id:mavbrown:20151118111831j:plain

 

 

その他のアクセサリー・レザー小物は以下のWebsiteに載せています♩↓

sewashi.chobi.net

 

こんな私のアクセサリーはさておき、

Makonde職人さんの腕は本当に素晴らしい。

f:id:mavbrown:20151019210447j:plain

↑こちらがMakonde。タンザニアのお土産と言ったらこれ!って感じの木彫りの人形たち。

でもこれ木だからめちゃ重い。そしてこうやって大量に並んでいると少し怖い。

 

こ〜んな繊細なものをおじさんたち下書きも何もなしに

木から掘ってしまうんだもの。

しかも収入も安定しないだろうに、

くる日も来る日も掘り掘りし続ける職人根性には唯々感服です。

(ただみんなで同じものを掘るのはどうなんだ。オリジナリティを出していかないと売れない気がするんだが…)

客引きのやり方には少々辟易するが、タンザニアに行ったらぜひ訪れて欲しい。

おじさんたちが一生懸命掘り掘りしているところを眺めていると

きっと心が安らいできます。

 

 

さて、そもそもなぜまーヴがアクセサリーやレザー小物を作るに至ったかというと、

学生時代の(ぎりぎり今も学生ですが)NGOでの経験がありました。

 

(多分全く更新されていないNGOの古いWEBページ…↓)

tumaini-nyumbani.jimdo.com

 

トゥマイニニュンバー二(スワヒリ語で希望を我が家に)

というこの呪文のような怪しい団体は、

ケニアのナイロビスラム街に暮らすシングルマザーでかつ、

HIVポジティブのママたちを支援しています。

(私は現在活動していませんが、後輩は活動を続けています)

ママたちには毎月サイザルバスケットを作ってもらい、

その対価としてお給料を支払う、というスタイルの支援でした。

この「国際協力モデル」が如何によろしくないものか…

ということを言い出すと話が脱線するので今回は置いておいて、

とにかくママたちにせっせとサイザルバスケットを作ってもらい、

それを私たちメンバーは日本で一生懸命販売していました。

 

f:id:mavbrown:20151108214214j:plain

↑学祭にてサイザルバッグに囲まれ嬉しそうなわし

 

 

この写真のバスケット部分をママたちにつくってもらい、

バッグの上部の取っ手部分、肩ひもの部分は、スラムの革職人さんに

つけてもらっていました。

毎年ワークキャンプの際に、日本人メンバーが革職人のもとに

バスケットを持って行き、持ち手やショルダーストラップを

事細かにオーダーします。

しかーし!!

大概が思い通りにはいかない。(そんなことは当たり前なんだけど)

ジップが壊れていたり、ストラップがねじれていたり、

持ち手が異常に短かったり・・・

あーだこーだ文句を言ってるうちに私は思ったんです。

自分でやったほうが早いのでは?と。

 

そして自分ができないのに文句ばかり言うのは

フェアじゃないな、思ったのです。

そんなわけで手始めにアクセサリーから入り、

次第にレザークラフトをやり始めたという感じです。

かく言うまーヴもまだぺーぺーのペーペーですが・・・。

まだまだ修行は続きます。

 

手づくりのあたたかみ、とか言ったら

なんだかうさんくさいかもしれませんが、

私がどっかにぽとっと落としてきてしまったものが

おててでちこちこするうちに戻ってきてくれるような気がします。

 

どんなに長く、心の込められたお手紙でも、

パソコンで早打ちされたものよりは

一行で手書きのほうがいい。

人が手間隙かけて一生懸命つくったものは、

そのモノだけでない何かを、Somethingを連れてきてくれる

と私は信じて思います。

 

 

そんなわけで最近農業の勉強を始めました。(突然!)

農業を勉強したい!と思うに至った背景はやはり

タンザニアが背景にあります。

詳しいことはまた機会を改めまして書こうかと思います。

農業に関するおすすめの本があれば、皆様教えてくださいね^^

 

 

 

さて、まーヴは1月20日提出締め切りの卒業論文執筆のため、

毎日パソコンに向かってYOUTUBE…ではありませんね、

Wordを開いてカタカタ…

まだしていませんがこれからしますよ。

 

卒業論文を書いていると題材が題材なだけに、

段々腹が立ってきて、怒りを抑えるために頻繁に

ようし、チョコレートタイムだあ!

なんてことになること確実です。

チョコレートの差し入れ、待ってます。

 

 

 

 

 

「心から愛しているよ」

寒い。

 

 

タンザニアドドマは超寒いです。

日本の肌寒くなった秋口のような気候のここでは、

朝晩とても冷え込むので、とても半袖一枚ではおれません。

 

 

 

でも、朝起きた時肌がひんやりしていて

毛布を顎まで引き上げたくなる感じとか、

すごく晴れていて雲ひとつない空が

どこまでも高く遠くにある感じが私はとても好きです。

 

 

 

 

 

ドドマには日本人の大先輩を訪問しにやってきました。

お一方はバオバブ石鹸を作られており、

お一方は芋ケンピをつくっておられます。

 

ものづくりとはどうしてこんなに私をわくわくさせるのでしょう。

毎日楽しくて仕方がありません!

わたしも早くアクセサリーを作りたいなあ…。

 

 

 

 

 

さて、この2~3ヶ月わたしと接してくださった方は

わたしが口を開くたびにカシューナッツの話を持ち出すので

大層うんざりされたことと思います。ごめんなさいね

 

 

 

 

しかし、実はカシューナッツのことばかりが

わたしの容量のないオツムを占めていたわけではありません。

そう、タンザニアでやりたかったことの一つに

タンザニアのLGBTI事情」調査がありました。

※LGBTI…レズビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシュアル(B)、トランスジェンダー(T)、インターセックス(I)

 

 

 

 

これを巡って留学中にお友達と大ゲンカしたことは

未だに記憶に鮮明です。

周りの人たちのわたしに対する冷たい視線まで

感覚的に覚えている。

オツムの沸騰 - まーヴのタンザニア暮らし

ようこそ女の花園へ - まーヴのタンザニア暮らし(最後の方に書いてます)

 

 

 

 

 

 

このような経緯があって、この怒りをどうにか自分なりに咀嚼したい、

と思い、卒業論文の題材として「タンザニアのLGBTI事情」を選んだのでした。

(初めに断っておきますが私はストレートです。)

 

 

*****************************

 

 

 

タンザニアはLGBTIの人々にとても冷たい国です。

法律では、同性愛は30年以下の懲役と規定されています。

2014年、隣国ウガンダでは

「同性愛行為を繰り返した者には終身刑が課せられる」こととなりましたが、

タンザニアもそれに劣らぬ厳しさで同性愛行為一般を否定しています。

「同性愛を認めないのであればイギリスからの援助はやめます」

というイギリスの主張に対し、キクウェテ大統領は公然と

タンザニアには同性愛の文化はありません」

と述べています。各紙はこの発言を称賛の声で迎え入れました。

(なんということだ。)

 

 

 

 

今年6月末にアメリカでは同性愛者同士の結婚が認められましたが、

アフリカの多くの地域では、そんな欧米西洋の《LGBTIを受け入れる態勢》に

まさに逆行しようとする気迫が伺えます。

タンザニアウガンダだけでなくアフリカ53か国のうち、

同性愛者同士の性行為を犯罪とする法律を制定している国は

38か国にのぼります。

 

 

 

 

 

今回私はタンザニアの調査で、

・街頭インタビュー

・LGBTIの人々を支援しているNGO団体に接触

・LGBTIと呼ばれる人たちへのインタビュー

を行ってきました。

 

 

 

そこから見えてきたことを、

少しここで共有させていただきたいと思います。

 

 

 

現在までで、およそ50人に対し街頭でのインタビューを行ってきました。

対象者は20代~70代までの男女、宗教もキリスト、イスラムとばらばらです。

 

 

 

インタビュー内容はざっくり

①同性愛に賛同するか

②それはなぜか

③今年制定されたアメリカの法律について知っているか

④友達が「同性愛者」になった場合どうするか

 

 

 

 

結果は予想通り、①同性愛に賛同するか

に対しては一人を除いて全員が「No」。

賛同しますという女性に出会ったときは嬉しくて思わず手を取ってしまった。

 

 

 

ご存知の通り私は非常に暑苦しい女なので、

インタビューを始めた当初は、

公然と「No」と言い放つ者に対して、

「なんでよ!ちゃんとロジカルに説明してみなさいよ、ええ??!」

ととても挑戦的な態度で臨み、激昂するのを必死で抑え

挙句私が説教を始める、というなんだか布教活動のような様相を呈していました。

(超低血圧な私にとってはいいことなのだろうか?)

 

 

 

 

いけないわ、これでは灼熱の太陽の下で

体力を無駄に消耗しちゃっていずれ溶けてしまうわ

と思い、最近では胃の下あたりからふつふつと湧き起こる怒りの炎を

なんとか沈め、冷静な顔を作って「へえ~」と聴けるようになりました。

 

 

 

 

私のことはどうでもいい、話を戻します。

②同性愛に反対する理由は何か?

という質問に対してもこれまた予想通り。

二人以外の全員が「Mungu(神)が許さない」。

無宗教の人2人にもインタビューしましたが、

彼らは「タンザニアの文化じゃないから。」

と答えました。

 

 

 

全員に対し、神様以外には理由はないのか尋ねると、

「よくないことだから。」

「人間は男女でペアになるように作られたから。」

「自然の摂理に逆らっている。」

「子どもができない」

という答えが返ってきました。

(わしを納得させる答えは何一つないがな!!!!!)

 

 

 

 

さて3つ目の質問、

③今年制定されたアメリカの法律について知っているか

について。5人を除いてみんな知っていました。

約9割です。

これが制定されたとき(6月)私は日本にいたため

タンザニアではどういう報道がなされたのかはわかりませんが、

先に述べたキクウェテさんの発言しかり、隣国ウガンダの法律しかり

日本に比べれば国民の関心度が高まっていた、という下地はあったと思われます。

 

 

 

「この法律どう思う?」という質問に対しては、

「最悪だ!」「アメリカ人はみんな頭がおかしくなった」

「脳みそがない」「バカとしか思えない」

という散々なお返事でした。

(おい!もういっぺん言ってみろよ!いてこますぞ!怒)

 

 

 

 

最後の質問、

④友達が「同性愛者」になった場合どうするか

について。

私としてはこれが非常におもしろかったのですが、

なんと15人もの人が

「友達をやめはしない」と答えました。

見捨てずに神の道へ導く、と。

(また神かよ!)

 

 

 

あれだけ嫌悪しておきながらも、

友達が実際に「同性愛者」になってしまうとなると

「うううううん」

と悩む人が多かったのが印象的です。

留学中に友達とケンカしたときには

「ゆかがレズビアンなら友達やめる!」

とものすごいショックな一言をものすごい剣幕で言われました。

当然といえば当然ですが、全員がそういうわけではない、

とわかっただけでも今回街頭インタビューしてよかったです…。

 

 

 

 

街頭インタビューする前には、留学中の経験もあり

「同性愛」について聞いてもみんな笑い出してしまって、

まともに取り合ってもらえないだろうと思っていました。

そしてインタビューにも全く答えてもらえない、

ということも覚悟していました。

 

 

 

しかし蓋を開けてみると、

ほとんどの人がとても真剣に私の質問にこたえてくれました。

「同性愛」と聞くだに爆笑しだしてしまい、

とても嘲笑的な目で私を見てきた人はたったの5人だけでした。

 

 

 

同性愛に反対だと主張する人も、

「それじゃあ賛成の君の意見は?どうしてそう思うの?」

と、とても興味深そうに聞き返してくれた人も何人もいました。

私の意見を述べると、

「そうか、僕は彼らについて何も知らなかった」

「勉強すれば意見は変わるかもしれないね」

ととても前向きなコメントをしてくれた人もいました。

(純粋に感動した。)

 

 

 

 

彼のコメントにもあるように、

反対する人の多くは、

同性愛についてほとんど無知です。

学校で教育されることもないし、

テレビで彼らに対するポジティブな意見を見聞きすることもない。

そこに扇動的に同性愛反対の報道がなされ、

自分の宗教でも「悪だと規定」されているとなれば、

《同性愛=悪》というイデオロギーを疑わないのも

しょうがないのかもしれません。

 

 

それでもわたしは、

自分の無知を棚に上げて神を盾にして

同性愛を否定するのはとても卑怯なことだと思います。

神を持ち出せばなんでも許されるなんてそんなのずるい。

イエスさまは、アッラーは、

そんな器の小さい神じゃないはずだ(と信じたい)。

 

 

 

 

世界のあらゆる差別偏見が「無知」に

端を発していることは忘れてはなりません。

新しいものや考えに出会ったときに、

自分のバックグラウンドだけを元に対象を捉えようとすると、

嫌悪という負の感情が生まれてしまうものです。

 

 

 

日本では部落差別の問題を学校で学ぶことになっていますが、

それに対し、

「何も知らないままの方がいい。知ってしまうとそこから差別が生まれてしまう。」

という意見をよく聞きました。

でも私はそれは大間違いだと思っています。

どういう背景があって、その差別が生まれてしまったのか

それを学ばないのでは同じ歴史が何度も繰り返されてしまいます。

 

 

 

自分の意見を信じて疑わないことほど傲慢なことはありません。

タンザニアの多くの人が同性愛者について知ろうという努力もせず、

ただひたすらに彼らを嫌悪しています。

これは植民地時代に白人が黒人を人間だと思っていなかったのと

根本的には何も変わりません。

一体どんな権利があって他人の愛する人について口出しができるのでしょう。

 

 

 

他の国で調査をしていないので比較はできませんが、

今回街頭インタビューをしていてわかったことがもう一つあります。

インタビューでNoと答えた人の大多数が

「彼らはセックスを楽しむために自分で決意して同性愛者になった」

と信じて疑わないことでした。

 

 

当たり前ですが、同性愛とは

ある朝起きて「よーし、同性愛者になろう!」

と決意するようなものではありません。

私は当事者ではないので、文献から得た知識ですが

そこに至るまでには凄まじい葛藤があるのです。

 

 

そんなことは私が卒論で書こうと思う前から

当たり前に知っていたことでした。

これは日本では同性愛者のテレビ露出が多く、

ドキュメンタリーも数多く放映されていることが大きいかと思いますが、

おそらく日本人の多くは私のように少なからずの

同性愛者に関する知識はあると思います。

 

 

 

 

ここからはタンザニアでお友達になったイケメンの(!)

ゲイのお友達に聞いたことです。

 

 

 

彼曰く、タンザニアで最も大変なのはトランスジェンダーの人たちだそうです。

日本語だと「性同一性障害」と呼ばれている人たちです。

(この日本語名もめちゃ失礼だ!)

体が男で女装をしている人たちは、街中でも特に目立ってしまいます。

 

 

 

彼らは道を歩いていても石を投げられたり、

仕事に就けなかったり、

病院に行っても医療サービスを受けられなかったりします。

「僕はただのゲイだからノーマルを装っていれば生きていけるけど、

トランスジェンダーの人たちはそうはできないんだ。」と。

 

 

なんて辛い世の中なのか。

彼らの気持ちなんて実際にその立場になってみないと

絶対にわからないのだと思う。

 

 

そしてゲイとして生きている彼だって辛いだろうに、

トランスジェンダーの友達を思って悲痛な表情を浮かべる彼は、

神にも値する真に慈愛に満ちた男だと思います。

 

 

 

 

彼は続けて言いました。

「ノーマルな人が異性を愛するのを当然と思っているように、

僕らゲイは男を愛すること以外考えられないんだ。

セックスを楽しむためにゲイになったなんてとんでもない。

僕は心から彼氏のことを愛しているんだよ。」

 

 

 

 

タンザニアよ、彼の言葉に耳を傾けてほしい。

この切ない叫びに。

 

 

 

彼がここタンザニアで、公に向かって

自分を主張できる日は一体いつやってくるのでしょうか。

きっといつの日か、タンザニアでも理解される日がやってくることを願います。

 

 

 

f:id:mavbrown:20151001003530j:plain

ドドマの夕暮れをバックにしたそびえ立つバオバブの木

 

いただきます。

 

 

「ゆか、バナナ何本食べる?」

 

「1本!」

 

「おっけー!3本ね!」

 

f:id:mavbrown:20150914191347j:plain

 

 

 

人の話全然聞いてくれない。

 

 

ムトワラのホームステイ先では毎朝こんな調子でございます。

 

 

 

私がチャイ(ティー)に入れるスプーン1/2の砂糖をみて、

私が盛るお皿1/3のご飯をみて、

みんなが目を丸くし、笑う。

そして説教が始まる。

そんなんじゃ力がでないよ、ゆか。

 

 

 

あなたたちが食べすぎなんです。

とは言わないけれど、とりあえず

ごめんなさい、これ以上たべれないの

と言っておく。

 

 

 

お皿にご飯が残っていると、

それがお腹いっぱいの意味らしい。

私は、お皿に米一粒も残してはいけない

といって育てられたので、

お皿にたくさんのご飯を残すことが

ものすごく心苦しいのです。

 

 

 

 

これは私の信念だから、

お皿にご飯は残せないの

と言ってなんとか了解を得たけれど

一体どれくらいわかってもらえたのだろうか。

 

 

さて、今日は食べもののことを書こうと思う。

 

 

 

タンザニアでは、大きなお家では大抵鶏を飼っている。

私がホームステイしているお家もしかり。

 

 

そんなわけで毎朝、卵を一人4つも食べる。

(日本で普通流通しているものより幾分小さいけれど)

 

 

そして10日に一度くらい鶏を絞めて

晩御飯にする。ご馳走だ。

 

 

「今夜は鶏だ。絞めてこい。」

と父親に促され、22歳の息子Israelは裏庭へ。

よく肥えた一羽を選び、

小屋の外へ連れ出す。

f:id:mavbrown:20150915225917j:plain

 

自分の運命を悟り、鶏は必死にその羽をばたつかせる。

助けを呼んでいるのか、一際大きな声で鳴く。

 

手に握られたナイフ

首根っこをおさえ、勢い良くナイフを左右にざくざく

 

 

首元をしっかり絞められた鶏は、

頭がすっかり落ちた後も

最後の力を振り絞り、羽をばたばたさせている。

 

 

両手で押さえられた首の中では、

真っ赤な管がどくどくと脈打っている。

滴る浅黒い血。

赤く染まっていく地面の雑草

 

 

 

それをすぐ近くで眺めていた私の顔は

きっと激しく歪んでいたと思う。

ああ、なんて残酷なんだ、と。

 

 

そんな私の顔をみて、Israelは

なんでそんな顔してるの、ゆか!

と爆笑している。

 

 

私にとっては非日常。彼らにとっては日常。

f:id:mavbrown:20150915230338j:plain

↑既に頭を切り落とされた鶏さん

 

 

その後、鶏は熱湯に浸けられ、

羽をむしられる。

むしり終わったところでようやく

クリスマス時期の日本のスーパーでもよく見られる、

あのまるまるとした”鶏肉”の姿になるのである。

 

 

3時間後には、鶏さんは

すっかり調理され、お皿に乗って食卓に出てきた。

あれだけ生々しいものを目の当たりにしたのだから、

もしかしたら食べれないかも

と思っていたが、残念ながら

なんてことなく食べれてしまった。

 

 

出てきた”鶏肉”を拒否するには

私はあまりにもそれを食することに慣れすぎていたし、

調理されたそれはとても美味しそうに見えた。

そして、とても、とても美味しかった。

 

 

別の日

ゆかもタンザニア人になるんなら鶏一羽くらい絞めれないと、

と言われ、手にナイフを握らされたが全く駄目だった。

怖気付いてしまい、とても首元をぎこぎこなんてできない。

 

 

 

ゆかは殺せもしないのに肉を食べるわけ?

変な奴~!

ってお兄ちゃんは腹を抱えて笑っていたけれど、

私はまあまあ深刻に考えてしまった。

 

 

 

 

実をいうと、私は前に一度ベジタリアンになろうと

したことがあった。

今から4年くらい前か。

そもそも、なぜ私がベジタリアンになろうとしたかというと、

私の尊敬する人にはベジタリアンが多いからである。

マイケルジャクソンをはじめ歌手のP!NKもポールマッカートニーも、

ナタリーポートマンもブラッドピッドもボブマーリーも…

 

 

 

ベジタリアンの主張していることはよくわかる。

言われればふむふむ確かにそうだ、

と思う。

が、実際にお肉が目の前にやってくると

食欲はそそられてしまう。

 

 

 

ああ、食べたい。

いや、だめだだめだ。

私はマイコーになるんだ!

ああ、でも…

 

 

 

 

という不毛な格闘を

7日間続けたあげく、

私は負けた。

ベジタリアンにはなれなかったのであります。

 

 

 

 

そんな肉食主義者まーヴは、留学中に気付いたのです。

私が日本で送ってきた都市生活には

いのちをいただく

という感覚が全くなかったということに。

 

 

 

 

スーパーに並ぶ”お肉”には、

そこにいのちがあったことをあまり感じさせてはくれません。

ふさふさの毛はすっかり剥ぎ取られ、

綺麗にパッキングされて、

ご丁寧に消費期限が記載されたシールが貼られている。

 

 

 

 

とっても便利なんだけど、

本当にこれでいいのかなあ、と思う。

私がこんなところにやってきて

ようやく感じたくらいだから、

普段屠殺の場面に出くわさない多くの人は、

何も考えずに口に入れて飲み込むのだと思う。

 

 

 

 

自分の手を汚さずにいのちをいただいておいて、

そのプロセスを知らないなんて

私はなんて無責任なんだろう、

ふとそう思いました。

 

私たちは自分が食事を楽しむために、

いのちをいただくのです。

 

 

それで、屠殺の場面をみて

顔を歪めるなんてそもそも矛盾しているのです。

 

 

ベジタリアンの主張はほとんどの場合、

動物を殺す、ということから湧き起こる感情がベースになっています。

 

 

そして、それに反論する肉食主義者は

理想の栄養バランスを持ち出したり、

曖昧な”動物”の境界線、例えば牛はダメなのになぜ虫は殺して良いのか?

ということを指摘したりします。

 

 

 

 

 

正直、私にはわからない。

どの主張を聞いてもふむふむなるほど、

と思ってしまうので議論の土俵にも上がれません。

 

 

でも、この整理のつかない葛藤を

忘れぬようここに記そうと思いました。

 

 

ここまで書いてきたから

まーヴはベジタリアンになるのか?!

と思いきや、本人はそんなことはなかろうと思っています。(え?!)

こんなことを言ったらベジタリアンの反感を買うだろうけど、

私はベジタリアンにはなれないと思う。

 

 

 

 

でも、だからせめて、

 

いただきます

という言葉の意味を噛み締めて

私は食事をいただくように

心がけようと思います。

今のところ、私にはそれしかできません。

 

 

 

 

そういえば、前にマサイの村でヤギを絞めてもらったときに

記事を書いていました。

憧れのマサイ - まーヴのタンザニア暮らし

今でもあのときのマサイのお友達の姿は脳裏に焼き付いていて、

カッコイイ姿としてとても鮮明に思い出されます。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

タンザニア滞在も残り一ヶ月を切りました。

やりたいことがありすぎて、時間がいくらあっても足りません。

LGBTに関する調査、カシューナッツ加工工場巡り、

タンザニアで起業されている日本の大先輩方の訪問…

 

 

 

こんな私の想いとは裏腹に、

タンザニア人は彼らのポレポレタイムを決して崩しません。

お店にコピーに行くと、たった一枚のコピーなのに

30分も待たされます。

何をそんなに急いでいるんだよ~

と呑気なことをいうので私がイライラすると、

何を怒っているんだよ~!

とみんなでクスクス笑い出す。

 

 

タンザニアはそんなところです。

 

 

郷に入れば郷に従え

と自分に言い聞かせる場面に、一日に何度も出くわす。

 

 

 

どうやらまーヴがタンザニア人になるには

まだまだ修行が必要なようです。

 

ビジネスコンテスト、ダメでした。

あかんかったです、ビジネスコンテスト。

 

 

 

確かコンテストに応募しよう、となったのが

8月上旬だったと記憶しています。

 

 

 

 

コンテストのことを大志から聞いた翌日が締め切り日で、

本当に滑り込みセーフで書類を提出しました。

 

 

 

 

その時点で、予選、本戦の日は

私はタンザニアにいることがわかっていたので、

あおちゃんに仲間に加わってもらい、

3人で出場することに。

 

 

 

 

それでも、大志はすぐにバングラ

あおちゃんは予選の翌日からアメリカ留学

という、それぞれが超多忙な中での挑戦でした。

 

その後、大志も本戦の日いないということで、

悠希さんにも加わってもらいました。

悠希さんには私は一度もお会いしたことがありません。笑

 

 

 

応募した日から今まで、3人揃って顔合わせしたことは

そういえば一度もありません。

いつもオンラインミーティングで、

最近はそれぞれが別の国にいたので、

時差もあって時間を合わせるのも大変でした。

 

 

 

毎日パソコンに齧り付いて情報集め、資料作りに励みました。

途中で自分のできなさに漢泣きしたりもしました。

私のすぐ近くで被害を被った方、本当にごめんなさい。

 

 

 

 

 

できないなりに、これが今の私のベストだったと思っています。

自分の甘さとか、無知さとか、それでも必死にもがく感じとか

そういう色んなことに触れた一ヶ月でした。

私は、同じ時期に中古車販売の会社を日本で一人任されていたこともあり、

多忙を極めコンテストに応募してからの平均睡眠時間は3時間もとれず…

 

 

体内時計が狂ってかあまり食べなくなったので、

気がつけば体重は5kgも減っていました。

(今までのダイエットは一体なんだったんだー!)

 

 

 

そんなことはどうでもよくて、

一番伝えたいことは感謝です。

このコンテストがきっかけで私と出会ってくれたたくさんの方々、

本当にありがとうございます。

 

 

 

私たちでは到底考えられないような

素晴らしいアイディアを下さった方、

無知な私たちにもわかるように

専門的な知識を惜しげもなく教授して下さった方、

本当に感謝してもし尽くせません。

 

 

3Dプリンターで機械をつくる、

生産性、品質を上げるために栽培方法を変える、

バイオ燃料をつくるための技術を導入する、etc…

 

 

全てがあまりにも未知の領域で、

アイディアを頂く度に私の胸は少女のようにドキドキしました。

そして想像するとワクワクが止まらず、

居ても立っても居られないくらいに楽しくなりました。

 

 

 

 

プロジェクトの全貌をここに書き記す

力を私は持ち合わせていないので、

もしお話を聞いてくださる方がいらっしゃいましたら、

帰国して聞いてやってください!

 

 

 

 

 

 

夢といったらあまりにも遠い感じがするので

あえて目標と言いますが、

私の達成したい目標は何も変わりません。

 

 

 

 

学校にも行けずに路上に暮らす子どもたち

職がなくて物乞いで生計を立てている体の不自由な人たち

 

 

 

彼らが人としての普通の生活を送れるように

自分に誇りをもって生きていけるように

 

 

 

そんな世界を創る一助になりたい

 

 

 

それだけです。

 

 

 

 

 

ビジコンが一個ダメでも、私の根本的な思いは

何も変わりません。

むしろ、これを機に強くなりました。

 

 

 

 

とりあえず、今現実をみつめわかっていることは

私はまだまだビジネスを始めるには甘々だということです。

そしてもちろん始める資金もありません。笑

 

 

 

 

しかし、来たるべき時のために、

(いつか目の前に大富豪が現れて、投資する!

って言ってくれるかもしれないですしね!)

残りの時間も精一杯調査して参ります。

 

 

 

 

 

 

 

実はコンテスト前夜、

強盗に刃物で刺されて殺される

というこれ以上はない

と断言できる程、寝起き最悪な悪夢を見ました。

 

 

 

 

こんな私でもまあまあ怖くて、

ドキドキしながら目覚めました。

ああ、生きてる。

 

 

どうか現実にはなりませんように、

と願いながらネットの夢占いを見てみると、

「今のままでは状態は好転しないので、更なる努力が要される。」

そのような意味があるようでした。

 

 

 

私の潜在意識が、私にこんなに残酷な悪夢を見せてまで

警鐘を鳴らしているのだから、

無視しないわけにはいきません。

 

 

 

 

 

がんばります。

もっと。

 

 

 

 

 

貴重な時間をこのコンテストのために

一緒に費やしてくれた大志とあおちゃん

もう泣き出してしまいそうなくらい、

ありがとうです。

また何か一緒にしたいです。

そして多忙な中、私たちのために時間を割いて

下さったメンターの奥本さま本当にありがとうございました。

 

 

 

自分が本当に一生懸命やってダメだった時は

ひどく落ち込んで、そんなことを口外することは

絶対にできない性格の私ですが、

今調査地のムトワラからダルに戻るバスの中で、

あまりにも綺麗なお空と、鬱蒼とした緑を

ぼうーっと眺めていたら気持ちもスカッと

してきたのでここに書こうと思いました。

バス車内の温度は41度だと表示されています。

 

 

 

 

 

 

いつもこのブログをわざわざ開いてくださる方たち、

なんだ、こいつイキナリ!

と思われたと思います。

いつもと違って真面目な感じでごめんなさい。

イケメンはこれから撮ってくるのでもう少しだけ待ってください。

 

 

 

忘れてましたがこれから私は卒業論文も書かなければならないので、

その調査もこれから取り掛かります。

残り一ヶ月、タンザニアのポレポレタイムに乗っかった

悠長な時間の使い方はできなさそうです。

 

 

 

 

 

写真は、調査地ムトワラで最後の日に落ち込んでいる私を

ホームステイ先のお兄ちゃんがビーチに連れて行ってくれた時の写真です。

 

f:id:mavbrown:20150920000829j:plain

 

思わず泣いてしまいそうなくらいに綺麗だった。

そしてお兄ちゃんも格好良く見えてしまったのだった。

 

 

 

タンザニアからこんにちは

 

まさかこんなに早くこの地に戻ってくるとは。

 

 

空港から外に出るとすぐに、強烈な色彩が目に飛び込んでくる。

生い茂る緑とそれを引き立てる爽快な空の色

 

 

うるさいほどの原色の狂騒

 

 

それに重なる雑多な音は、

タクシードライバーたちの客引きの声

近くや遠くで鳴っているクラクション

ラジオから聴こえてくる威勢のいいスワヒリ語

携帯電話が必死に鳴らす超低音質なボンゴフレーバ

 

 

ただいま、タンザニア

 

 

 

「結婚してくれよお!頼むよ!君のことが本当に好きなんだ!」

日が暮れ始めた街中でおじさんに追い掛け回される。

 

 

あああ、ただいま、タンザニア

 

 

 

 

シャンプーの泡を流すには到底物足りない水圧でシャワーを浴びている時、

いつ水が止まってしまうのではないかとビクビクしなくてはならないこの感じ。

 

 

ベッドにダイブしてそのまま眠ってしまいたいのに、

外の砂埃で真っ黒けになってしまった足を気にして

ベッドにそのまま上がることを躊躇しちゃうこの感じ。

 

 

一日停電で携帯電話も充電できないし、夜はもちろん本も読めないし、

やることが何もないのでとりあえずわらわら外に出てみんなで雑談するこの感じ。

 

 

ちょっと無理していつもより多めにご飯を食べているのに、

あんたなんでそんなに食べないの?!と本気で心配されてしまうこの感じ。

 

 

ゆか、体大きいね、ってお兄ちゃんがにこにこしながら

デリカシーのかけらもないことをさらっと言ってのけてくるこの感じ。

 

 

きちんと列に並んでいたつもりが後からやってきたおばちゃんやおじちゃんに

さっさと追い抜かれてしまって

大人しく待っていたことが馬鹿らしく思えてくるこの感じ。

 

 

私のことを中国人だと信じて疑わず、

「Mchina, Mchina! ひーほーはーふーへーほー!」

と、誓って誰にも通じない言葉を必死にこちらに向かって発してくるこの感じ。

 

 

全部、全部が一年前まで日常だったこと

一年間タンザニアを離れてこちらに戻ってくると、

いろんなことが懐かしくていちいちニヤニヤしてしまう。

 

 

 

 

車で少し町を走ると、信号機がかなり増えたことに気がつく。

 

ついにタンザニアも今まで全く無頓着だった安全というものに気を向け始めたか、

と思うがそれは早とちり。

 

 

久しぶりのダラダラ(バス)にやや緊張しながら乗ると、

インディケーターを点灯させることなく、ものすごいスピードで

縦横無尽に車線変更しまくって大爆走なところは相変わらず。

 

 

 

超満員バスでは日本の日常ではおよそ考えられない超不自然な体勢になって、

バスが揺れて踊るたびに隣のお兄ちゃんとぶつかって

目が合うと自然に笑みがこぼれてきてそのうち爆笑

 

 

バスの中にまで届く外の喧騒とは裏腹に、

窓からは夕焼けの美しいオレンジを背景にした

木々の真っ黒なシルエットが妙に美しく。

 

しばしみとれてしまったのは

そんな景色をぼうっと眺める私の隣にいたお姉さま。

タンザニアの夕焼けに照らされたあなたは憎らしい程に美しい。

 

バスの中ではコンダのお兄ちゃんが忙しく動く。

 

日がすっかり沈んでバスの中が真っ暗になっても、

コンダのお兄ちゃんは器用に乗客から集金し、

灯りを求めては窓際に移動してお釣りを繕いまた乗客に返す。

その所作には全くもって無駄がなく。

素晴らしい仕事をするなあと改めて思う。

 

 

 

 

しかしその翌日、長距離バスのチケットを買い求めに

ウブンゴのバスターミナルに赴き、すごく嫌な思いをした。

客引きのおじさんは私と話していると疲れてしまったのか、

あからさまに疲れを前面に押し出し、貧乏揺すりを始めた。

さっさと金を払えよ、と。

でも彼のいう金額は明らかに普通より高い。

仕事をしているときは客に向かってそんな態度をするもんじゃないよ、

私だって嫌な気持ちになっちゃうよ

と言ったら彼はすごく怒り出した。

怖いしこんなところで買いたくないので、別のところをあたります

というと彼は更に怒ってしまった。

 

 

こういう仕事にたいする忠誠心のなさというか

誇りを持って仕事に向き合えない感じ。

ただただお金をもらうために、生活のために、

仕事をやらされている感じ。

 

 

また別の日、JATAのインターン

日本からの学生を連れNGOを訪ねると、

対応してくれる予定だったスタッフは不在、

今日は一日会議なのでもう今日は帰って、と。

もちろん謝罪の言葉はなし。

こんなことが別の機関でも連続で4度あった。

 

 

一年間住んでいる間に何度となく味わった

タンザニア人の不真面目さ、対応の悪さ。

 

 

 

タンザニアに着いて6日目で、

そういう色んなことをまざまざと

体が思い出してきました。

 

 

タンザニアを離れている間に、

私の記憶はタンザニアの素晴らしい思い出だけを残し、

タンザニアの全思い出をただただ美しいものに捏造してしまった。

 

 

実際には、停電はしょっちゅうだし水もないし

外を歩いたら砂埃で真っ黒けになるし

日差しは痛いほどに強いし、友達は時間を守らないし

中国人中国人うるさいし、ご飯はワンパターンだし、

嫌なことは枚挙にいとまがない。

 

 

それでも戻ってきてしまった。

やっぱりどうしてもここがタンザニアが好きなんです。

 

よく、なんでタンザニアが好きなんですか?

と聞かれるけど、よくわからない。

 

そりゃ、理由を挙げようと思えばいくらでも挙げられるけど、

どんな理由を述べても不足する気がする。

 

そんな感じで、よくわからないけど、

私はとてもタンザニアを好きです。

 

 

 

これから約2ヶ月間、イケメンフォルダのストック増強に邁進して参ります。

お楽しみに!

 

 

 

f:id:mavbrown:20150910133740j:plain

  ↑イケメンのおっさんに絡まれて嬉しそうなわし。 

 

 

 

 

 

初笑いをお届け

あけましておめでとうございますまーヴです。

実は日本に帰国しまして早くも4ヶ月が経過致しております。

光陰矢の如しですね。

 

私はと言いますと、タンザニアから帰国し

アフリカに一年間もいたことが夢だったかのような心地で、

すっかり日本の生活に慣れ戻ってしまいました。いとかなし

 

 

この4カ月であった私事ビッグイベントは

・シェアハウスに入居

スワヒリ語スピーチコンテスト2位入賞

ホノルルマラソン完走

といったところでしょうか。

ここでは長くなるのでこれらのイベントについては割愛しましょう。

 

留学中は書くのが楽しみだったこのブログも、

帰国して以来全くもって放置プレイでした。

が、ふと開いてみると、私が更新していないのにも関わらず

11月と12月にすごいアクセスがあってびっくりしました。

アフリカに留学しようとしている誰かが検索して

このブログが引っかかってでてきたのか、

はたまたどこかで誰かが私の珍体験を笑いのタネにしているのか。

いずれにせよ見てくださってありがとうございます。

まーヴは嬉しい限りでございます。

 

このブログは、元々は自分のための備忘録、そして

次にタンザニアに留学するかもしれない人たちの

ほんの少しでも参考になれば、と思い書き始めたものでした。

自分が留学するときはダル大留学経験者が周りにおらず、

話を聞けないまま現地に飛び込むことになったので。

(そのうち書くこと自体が楽しくなってきて

当初の目的なんてすっかり忘れていましたけどね!)

もし聞きたいことがあればメールでもなんでも聞いてくださいね!

(「イケメンはいますか?」とかそんなくだらない内容でも構いません)

渡航前のなんとも言い表せない不安感は

私も経験済みですので共有できるかと思います。

結局現地に行くまで大学側からのお返事はなく、

直談判する羽目になったのは記憶に新しいです。

 

 

ところで今回なぜ、突然このブログを更新することにしたのかと言いますと、

留学中の写真整理をしていたところある動画を発見したからでした。

 

 

 

もしかしたら覚えていてくださっているまーヴ大ファン♡

の方お待たせしました!

(「そんなやついるかよ」というツッコミが聞こえてきそう)

 

↓「なんの話をしているの?」という方のために↓


スターへの道?!どきどきPV撮影 - まーヴのタンザニア暮らし

 

 

そう、実はまーヴボンゴフレーバのPV撮影に参加させてもらってたんですよ。

自分でも忘れていました(笑)

 

そして今自分で見ても笑いが止まりません。

後世に語り継がれてしまいそうなくらいまーヴが気持ち悪い

 

 

YOUTUBEには自分でアップロードするからちょっと待って!」

って言われていたんですけど、もういいや。ええいままよ。

と思ってアップしちゃいました。

こんなにおもろいものはみんなで共有したほうがいいに決まってます。

 

この動画、出国直前にアレックス君(このPVのメインシンガー)に

mpgファイルで慌ててもらったので、かなり画質が悪いです。

(画質悪くてまーヴが安心しているのは内緒)

 


Allain manyorra Nimekubali - YouTube

 

 

しかしなんだ、人間ってこんなにまりもっこりそっくりになれるのか。

ああ、猛烈にタンザニアに帰りたい。

3時間待たされても、水汲みに1時間以上並んでも、

ルームメイトがゴリラでも 、チナチナ呼ばれても構わない。

から帰りたい。

 

 

きっとまたいつか更新します。

また会う日まで!