まーヴのタンザニア暮らし

アフリカ、タンザニアでの留学生活ブログです

いただきます。

 

 

「ゆか、バナナ何本食べる?」

 

「1本!」

 

「おっけー!3本ね!」

 

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人の話全然聞いてくれない。

 

 

ムトワラのホームステイ先では毎朝こんな調子でございます。

 

 

 

私がチャイ(ティー)に入れるスプーン1/2の砂糖をみて、

私が盛るお皿1/3のご飯をみて、

みんなが目を丸くし、笑う。

そして説教が始まる。

そんなんじゃ力がでないよ、ゆか。

 

 

 

あなたたちが食べすぎなんです。

とは言わないけれど、とりあえず

ごめんなさい、これ以上たべれないの

と言っておく。

 

 

 

お皿にご飯が残っていると、

それがお腹いっぱいの意味らしい。

私は、お皿に米一粒も残してはいけない

といって育てられたので、

お皿にたくさんのご飯を残すことが

ものすごく心苦しいのです。

 

 

 

 

これは私の信念だから、

お皿にご飯は残せないの

と言ってなんとか了解を得たけれど

一体どれくらいわかってもらえたのだろうか。

 

 

さて、今日は食べもののことを書こうと思う。

 

 

 

タンザニアでは、大きなお家では大抵鶏を飼っている。

私がホームステイしているお家もしかり。

 

 

そんなわけで毎朝、卵を一人4つも食べる。

(日本で普通流通しているものより幾分小さいけれど)

 

 

そして10日に一度くらい鶏を絞めて

晩御飯にする。ご馳走だ。

 

 

「今夜は鶏だ。絞めてこい。」

と父親に促され、22歳の息子Israelは裏庭へ。

よく肥えた一羽を選び、

小屋の外へ連れ出す。

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自分の運命を悟り、鶏は必死にその羽をばたつかせる。

助けを呼んでいるのか、一際大きな声で鳴く。

 

手に握られたナイフ

首根っこをおさえ、勢い良くナイフを左右にざくざく

 

 

首元をしっかり絞められた鶏は、

頭がすっかり落ちた後も

最後の力を振り絞り、羽をばたばたさせている。

 

 

両手で押さえられた首の中では、

真っ赤な管がどくどくと脈打っている。

滴る浅黒い血。

赤く染まっていく地面の雑草

 

 

 

それをすぐ近くで眺めていた私の顔は

きっと激しく歪んでいたと思う。

ああ、なんて残酷なんだ、と。

 

 

そんな私の顔をみて、Israelは

なんでそんな顔してるの、ゆか!

と爆笑している。

 

 

私にとっては非日常。彼らにとっては日常。

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↑既に頭を切り落とされた鶏さん

 

 

その後、鶏は熱湯に浸けられ、

羽をむしられる。

むしり終わったところでようやく

クリスマス時期の日本のスーパーでもよく見られる、

あのまるまるとした”鶏肉”の姿になるのである。

 

 

3時間後には、鶏さんは

すっかり調理され、お皿に乗って食卓に出てきた。

あれだけ生々しいものを目の当たりにしたのだから、

もしかしたら食べれないかも

と思っていたが、残念ながら

なんてことなく食べれてしまった。

 

 

出てきた”鶏肉”を拒否するには

私はあまりにもそれを食することに慣れすぎていたし、

調理されたそれはとても美味しそうに見えた。

そして、とても、とても美味しかった。

 

 

別の日

ゆかもタンザニア人になるんなら鶏一羽くらい絞めれないと、

と言われ、手にナイフを握らされたが全く駄目だった。

怖気付いてしまい、とても首元をぎこぎこなんてできない。

 

 

 

ゆかは殺せもしないのに肉を食べるわけ?

変な奴~!

ってお兄ちゃんは腹を抱えて笑っていたけれど、

私はまあまあ深刻に考えてしまった。

 

 

 

 

実をいうと、私は前に一度ベジタリアンになろうと

したことがあった。

今から4年くらい前か。

そもそも、なぜ私がベジタリアンになろうとしたかというと、

私の尊敬する人にはベジタリアンが多いからである。

マイケルジャクソンをはじめ歌手のP!NKもポールマッカートニーも、

ナタリーポートマンもブラッドピッドもボブマーリーも…

 

 

 

ベジタリアンの主張していることはよくわかる。

言われればふむふむ確かにそうだ、

と思う。

が、実際にお肉が目の前にやってくると

食欲はそそられてしまう。

 

 

 

ああ、食べたい。

いや、だめだだめだ。

私はマイコーになるんだ!

ああ、でも…

 

 

 

 

という不毛な格闘を

7日間続けたあげく、

私は負けた。

ベジタリアンにはなれなかったのであります。

 

 

 

 

そんな肉食主義者まーヴは、留学中に気付いたのです。

私が日本で送ってきた都市生活には

いのちをいただく

という感覚が全くなかったということに。

 

 

 

 

スーパーに並ぶ”お肉”には、

そこにいのちがあったことをあまり感じさせてはくれません。

ふさふさの毛はすっかり剥ぎ取られ、

綺麗にパッキングされて、

ご丁寧に消費期限が記載されたシールが貼られている。

 

 

 

 

とっても便利なんだけど、

本当にこれでいいのかなあ、と思う。

私がこんなところにやってきて

ようやく感じたくらいだから、

普段屠殺の場面に出くわさない多くの人は、

何も考えずに口に入れて飲み込むのだと思う。

 

 

 

 

自分の手を汚さずにいのちをいただいておいて、

そのプロセスを知らないなんて

私はなんて無責任なんだろう、

ふとそう思いました。

 

私たちは自分が食事を楽しむために、

いのちをいただくのです。

 

 

それで、屠殺の場面をみて

顔を歪めるなんてそもそも矛盾しているのです。

 

 

ベジタリアンの主張はほとんどの場合、

動物を殺す、ということから湧き起こる感情がベースになっています。

 

 

そして、それに反論する肉食主義者は

理想の栄養バランスを持ち出したり、

曖昧な”動物”の境界線、例えば牛はダメなのになぜ虫は殺して良いのか?

ということを指摘したりします。

 

 

 

 

 

正直、私にはわからない。

どの主張を聞いてもふむふむなるほど、

と思ってしまうので議論の土俵にも上がれません。

 

 

でも、この整理のつかない葛藤を

忘れぬようここに記そうと思いました。

 

 

ここまで書いてきたから

まーヴはベジタリアンになるのか?!

と思いきや、本人はそんなことはなかろうと思っています。(え?!)

こんなことを言ったらベジタリアンの反感を買うだろうけど、

私はベジタリアンにはなれないと思う。

 

 

 

 

でも、だからせめて、

 

いただきます

という言葉の意味を噛み締めて

私は食事をいただくように

心がけようと思います。

今のところ、私にはそれしかできません。

 

 

 

 

そういえば、前にマサイの村でヤギを絞めてもらったときに

記事を書いていました。

憧れのマサイ - まーヴのタンザニア暮らし

今でもあのときのマサイのお友達の姿は脳裏に焼き付いていて、

カッコイイ姿としてとても鮮明に思い出されます。

 

 

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タンザニア滞在も残り一ヶ月を切りました。

やりたいことがありすぎて、時間がいくらあっても足りません。

LGBTに関する調査、カシューナッツ加工工場巡り、

タンザニアで起業されている日本の大先輩方の訪問…

 

 

 

こんな私の想いとは裏腹に、

タンザニア人は彼らのポレポレタイムを決して崩しません。

お店にコピーに行くと、たった一枚のコピーなのに

30分も待たされます。

何をそんなに急いでいるんだよ~

と呑気なことをいうので私がイライラすると、

何を怒っているんだよ~!

とみんなでクスクス笑い出す。

 

 

タンザニアはそんなところです。

 

 

郷に入れば郷に従え

と自分に言い聞かせる場面に、一日に何度も出くわす。

 

 

 

どうやらまーヴがタンザニア人になるには

まだまだ修行が必要なようです。