まーヴのタンザニア暮らし

アフリカ、タンザニアでの留学生活ブログです

東アフリカぶらり旅後半戦

 

ブルンジを出国しルワンダへ!

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雲の切れ間から出現する神々しいご来光を拝みつつ、

ついにスワヒリ語の通じない国へ!どきどき

 

 

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ブジュンブラの街並みもきれいでしたがルワンダの首都キガリもかなり美しい。

さすがアフリカのシンガポールと言う異名を持つだけありますな・・・

街中にたくさんのごみ箱を見かけました。

ダルエスサラームの都市計画は一体どうなっているのでしょうか、

見習ってほしいものです。

赤煉瓦と緑のコントラストはどこかヨーロッパを思わせます。

(まーヴはヨーロッパ行ったことないけどな!)

 

 

ルワンダと言えば1994年に始まるジェノサイド。

私の生後です。

そう、ルワンダジェノサイドは本当につい最近起こったことなのです。

生まれてこの方平和な日本に生きてきた私としては、

自分の生後にこの地球のどこかでジェノサイドが起こったなんて

全く信じられません。

 

ルワンダのジェノサイドについて簡単に。

 

悲劇は宗主国であったベルギーが、国民をフツとツチという民族に分けたことに始まります。

その分け方はかなり曖昧なもので、例えば鼻の高さが基準になっていたりしました。

植民地当局はツチを優遇することで、国を治めようとしたのです。

そして1930年代にはIDカード制が導入され、出身民族が重要視されるようになります。

その後、ベルギーは多数派のフツを優遇するようになり、この2つの民族間対立は更に悪化します。

1994年、ハビャリマナ(ルワンダ大統領)とンタリャミラ(ブルンジ大統領)が暗殺されたのをきっかけに、ルワンダ大虐殺が始まります。

それからRPF(ルワンダ愛国戦線)が同国を制圧するまでの、この100日間の出来事を「ルワンダジェノサイド」と呼びます。

この100日間でフツ過激派により多数のツチが殺されました。

その数は約100万人と言われています。

 

詳しくは→ルワンダ虐殺 - Wikipedia

 

 

まーヴは大学に入る前に『ホテルルワンダ』『ルワンダの涙』

という映画でルワンダジェノサイドについて知りました。

「アフリカに関して勉強しよう」という意思を持って、

初めて主体的に手に取ったものが

この歴史的大悲劇が題材になったものでした。

 (というかアフリカは歴史的大悲劇的ネタには事欠かないか。哀しいかな)

映画で観たときの衝撃もすさまじかったですが、

自分が今その土地を踏みしめていると思うと、

記念館の展示物はもっと生々しく私の胸に迫ってきました。

 

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 ↑虐殺で殺害された人々の骸骨

※歴史は伝えるべきものだと思うので、

迷いましたがこの写真も載せますご了承くださいね。

 

頭蓋骨が割れているのはナタを頭から振り下ろされたからです。

虐殺時、多くの人がナタを使って殺されたと言います。

 

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↑殺害された人々の写真

 

子どもの頃目の前で母親を殺された女性が、

大声でわめくでもなく、静かに涙を落としながら

当時の様子を語っているビデオがありました。

 

想像するだに恐ろしい光景ですが、

彼女の人生に一生付き纏うであろう

残酷な場面であることには間違いありません。

当事者の語りは制作された映画よりも

ずっしりと私の心に刻まれました。

 この悲劇が繰り返されないことを切に願います。

 

 

 

さて、ルワンダでまーヴがお世話になったのは

またもや見知らぬルワンダ人でした。

だいすけマンの知り合いの知り合いを紹介してもらい、

アポなしで押しかけたところ(ずうずうしい)、

嫌な顔一つせず超寛大な心でもってまーヴを

大歓迎してくれたのでした。

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 ↑ダニエル夫妻(ダニエルぱぱいけめん!)

 

お家の立派さからして超お金持ちだと思われます。

 

突然やってきた汚らしい娘の世話をする器のでかさもそうですが、

私の話に懸命に耳を傾けてくれるの二人のその姿勢に、

まーヴは心から感激いたしました。

ダニエルファミリーと話したことについては、

また別の記事に改めて書いてみようと思います。

 

お礼に日本食を振舞ったらとっても喜んで全部たいらげてくれました。

ご飯食べてもらうのってこんなに嬉しいことなんだね。

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↑お手伝いのクロウディーンとカドゴ

 

彼らにキニャルワンダ語を少し教えてもらいました。

やっぱり現地の言葉を話すとものすごく喜んでくれます。

英語もスワヒリ語も通じないけれど、

なんとなく言いたいことは伝わるんです。感動。

 

ルワンダに来てびっくりしたことは

・車間距離が広い!

・ピキピキ(バイクタクシー)がヘルメットを被っている!!

・パンがおいしい!!!

といったところです。

タンザニアは全てこの反対です。(タンザニアの悪口)

 

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↑見てこの洒落おつなパンたち!

 

 

 

4日後にルワンダを出ましてウガンダの首都カンパラへ出発!

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カンパラ市内(カダフィモスクのミレットより展望)

 

カンパラでは大学の先輩彩華さんのところでお世話になりました。

 

ウガンダではスワヒリ語のプレゼンスが大きく、

たまにスワヒリ語が話せるウガンダ人に出会いました。

それは内陸国であるウガンダが経済発展するには、

タンザニアに出るかケニアに出るかしかないからです。

 

そして英語の浸透率はタンザニアよりも高いように思われました。

例えば道で野菜を売っているおばちゃんやピキピキのお兄ちゃんでも英語はペラペラです。

タンザニアの場合は英語の前にスワヒリ語を習得しないといけないので、

英語の浸透率は幾分か下がるのでしょう。

タンザニアでは英語が話せるピキピキのお兄ちゃん、

ないしは道端の商人に出会うことはまずありません。

 

 

カンパラ市内ではケニアから進出してきた

巨大ショッピングモールや、おしゃれ雑貨に

たくさん出くわしました。ケニアの勢いは外国でも健在です。

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↑fromケニアのこのオシャレさ!

 

ちなみにタンザニアにはこんなにオシャレなものはないです。

・・・がんばれタンザニア

 (ここでタンザニアへの愛国心が芽生えていることに気付く)

 

そして何と言ってもウガンダのハイライトは

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この超イケメンモデルさんたち

 

「イケメン過ぎて手震えた」そうです。by彩華さん

お店にこの人たちが入ってきたとき、

まーヴの空いた口はふさがりませんでした。イケメン過ぎて

超汚い草履はいて「写真撮ってください」

って近づいて行った自分を褒めてあげたいです。

 

 

とここでウガンダのイケメンを紹介した後でなんですが、

やっぱりタンザニアはイケメンが多いです。

この見解にはかなり個人差があるかと思いますが、

男性の一人あたりの筋肉量を測れば、

きっとタンザニアは他の東アフリカ諸国を寄せ付けないでしょう。

タンザニアは程よくムキムキなお兄さんのパラダイスです。(変態か)

そして名前を聞いた後には必ず

「電話番号教えて」

「愛してる」

「結婚して」

と言ってくれます。(イケメンのお兄ちゃんたちが!)

 

っていうようなことをタンザニアの売りにしていったら

もっと日本人観光客増えると思うんですけど、

観光業界の方、どうでしょうか。(喜ぶのはまーヴだけか)

 

 

 

最後にまーヴの変態っぷりを発揮してしまいました。

お次はイケメンパラダイスのケニアです。

 

 

 

 

 

 

 

ブロークンハートボツワナ

 

まーヴにはボツワナ人のボーイフレンドがいました。

少なくともまーヴさんは彼のことをボーイフレンドだと認識していました。
わたしの記憶が正しければ
「僕の彼女になってくれないかな?」
と猛アタックを受けた覚えがあるので、私はガールフレンドだったはずですおそらく。
 
 
 
南アフリカを出てボツワナにやってきた目的はそう、ただ一つ。
彼に会うためでした。
ところがどっこい
ボツワナに入国して彼に電話すると
「お金がないから君のいるところまで出て来れない」
と言われたのであります。
 
 
一ヶ月以上前から私がくることはわかっていたのにビックリ衝撃大仰天です。
 
 
理由なんてわかっています。
お金がないのではなく、彼女が他にいるから私にわざわざ会いに行くなんて面倒くさい、のです。
よくありますよね。
 
 
そんなこんなでボツワナにやってきた意味を全く見失ってしまいましたまーヴ。
完全にブロークンハートです。
 
 
 
しかも困ったことにボツワナって本当に見所がない!(ボツワナに謝れ)
嘘ですごめんなさい謝ります。
ボツワナには動物もたくさんいますし、ウユニ塩湖に負けず劣らずな塩湖だってあります。
 
 
しかし残念ながらまーヴは全くもって動物さんには興味が湧かないですし、というかタンザニアで死ぬ程見たからもうお腹いっぱいですし、塩湖なんて綺麗なものを一人で見て哀しみに暮れて涙を流すのはごめんなのです。
 
 
というか一刻も早くボツワナを出たかったので、予定していなかったけれどもザンビアへ向けて出国することにしました。
 
 
の前に、ボツワナ情報を何も載せないのはさすがに気が引けるので少しばかり。
 
南アフリカのすぐ北に位置するボツワナは、ダイアモンド資源が豊富な国で首都Gaboroneの街並みはかなり整備されていました。
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↑このような大型ショッピングモールも多数
 
国の一人当たりGDP(2013年)を見てみると
ボツワナは7135ドルでアフリカで第6位、これは7位の南アフリカを抜いております。WOW
 
まーヴのいましたタンザニアと比較しますと、
タンザニアは703ドルでアフリカ36位、と大分差があります。
ちなみに日本は38491ドルでこれまた桁違いです。
 
 
ダル大にいたボツワナ人の友人は
「水が出ないなんてあり得ない。早く国に帰りたい。」
といつも愚痴をこぼしていたのですが、ボツワナにやってきて彼らの不平を言う気持ちがやっと理解できました。
アフリカなんてどこも同じなんて思ったら大間違い!
 
 
さてボツワナは潔く忘れましてザンビアへ〜
 
 
ボツワナの首都Gaboroneからザンビアのlivingstoneまでバスで17時間。
バス移動が大好きなまーヴもさすがに疲労困憊いたしましたそのバスとは、なんと一列に6人も座らせるという強硬手段をとったザンビアのバス会社でした。
 
Zambia Botswana Expressというバス会社は要注意ですよ。
 
 
しかし悪いことづくめだったわけでもなく、ボツワナからザンビアの国境付近には野生動物がたくさん!
まーヴも朝方三頭の象さんにお目にかかれました。いえい
ちなみに象さんに興奮していたのは車内でまーヴただ一人でした。
 
 
 
ザンビアと行ったらビクトリアフォールズ!
そう、世界三大滝があるのがザンビアなのです。
落差と幅の両面から見た滝の規模としては、イグアスの滝と並んで世界最大である。この2つの滝に匹敵する規模の滝は他には無く、たとえばナイアガラの滝もこの2つと較べるとかなり小さい。また、増水期の水量においてもイグアスと並んで世界最大級である[3]
Wikipediaさんより
 
 
ふむふむ、どうやらとてつもなく凄いらしい。
 
 
正直自然なんてあまり興味の湧かないまーヴですが、ザンビアに来てやることもないし完全にブロークンハートだし、しゃーねえな、見に行くか。
 
くらいの超ローモチベーションで見に行ってビックリ

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ワンダフルレインボーにも遭遇しました。
 
 
滝しぶきがすごくてまーヴびしょびしょ、色々洗い流せた気が致します。
 
 
入場料が20ドルでかなり高いな!とブツブツ言っていたのですが、それだけの価値はあると思います。
 
 
その翌日には鳥さんになって滝の上空を飛びました。

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なんだかんだビクトリアフォールズ大満喫でございます。
 
 
 
このビクトリアの滝に関する文句を一つ。
 
 
この滝、ヨーロッパ人としては探検家として名高いリビングストンが初めて見たと言われており、それに由来してこの都市の名もリビングストンと名付けられました。
ついでに滝なんかは当時の英国女王ビクトリア様の名をそのまま付けるというなんとも傲慢なことをしれっとしたのが植民地時代のイギリスさま。
 
現地の人の間では、雷鳴の轟く水煙という意味の「Mosi-oa-Tunya」という名で呼ばれていたそうです。
 
いつもアフリカは西欧から「発見」される立場であって、自分たちの財産である自然までもが奪われてきたのだな、ということをここに来て改めて認識した次第です。
 
この滝はビクトリアさんのものじゃないでしょうが!(声を大にして)
とかなんとかここで言っても今更名前は変わらないでしょうけれども。
 
 
 
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ダルエスサラームに帰ってまいりました。
タンザニアは暑すぎて溶けてしまいそうです。
 
それでもタンザニアはやっぱり私のホームランドで、
帰ってきた日には嬉しくてニヤニヤが止まりませんでした。
 
 
約一週間後に日本へ帰国です。
帰国は楽しみではありますが、日本の生活に馴染めるのか全く心配です。
そしてここを離れるのがとっても嫌です。
 
 
水がなくても電気がたまになくなったとしても
わたしはここが好きでした。
あと一週間、タンザニアのにおいを体いっぱいに吸収しようと思います。
あ、お土産リクエストは今のうちですよ。
 
 
 
 
 
南ア~ザンビア編おしまい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ンデベレ村への大冒険

留学中取っていた素晴らしい授業の一つに"African study in Art"というコースがありました。


この授業では毎回生徒がアフリカのエスニックグループについて調べプレゼンするのですが、ある日お友達のプレゼンで紹介されたのがンデベレ人でした。



写真で見せられたンデベレ人のカラフルなお家のアートに、私の心は一瞬にして虜になりました。


きっと皆さん一度はお目にかかったことがあると思いますが、おそらく日本人からして「これぞアフリカ!」みたいな文化を持っているのが彼らンデベレ人です。


さて、南アフリカには観光するとなれば、アパルトヘイトミュージアム以外にも自然遺産が沢山あります。
イケメンの彼氏が隣にいるならまだしも、共有する相手もいないのに自然の美しさに只々平伏すのは御免なので、まーヴは自然観光は全てキャンセル!
(南アフリカ人にヨハネスにずっといると言ったらアホちゃう!って言われたくらいまーヴは異例らしいです)

そんなわけで南アフリカに来る前から、どーしてもンデベレ人のアートを生で見たくて見たくてしょうがなかったまーヴはンデベレ村を探すことに。



正直、今の時代インターネットで検索かければサクッと出て来て憧れのンデベレ村に着けるものだと思っていました。

ところが検索しても検索しても欲しい情報が出てこないじゃーありませんか!


正確には出て来るには出て来るのですが、「Mpumalangaに住んでいる」という超アバウトな情報しか出てこないのです。
どれくらいアバウトかと言いますと、「九州に住んでいる」っていうくらいアバウトなんです。
それじゃあヨハネスを出てどこに向かえばいいのか皆目検討つかないのです。

南アフリカ人に聞き込み調査をするも、ヨハネスにいる都会人にとってンデベレ人なんて「あー確かにMpumalangaにいるらしいけどうーん、よく知らんなあ。」という感じ。


全然役に立たないヨハネス人は放っておいて結局約半日インターネットに噛り付いてやっと出てきたのがKwaMhlanga(くわむさんが)という地名。


ふむ、確かにMpumalangaに位置しています。
おそらくKwaMhlangaというのも〜区というくらいにアバウトですが、もうとにかく行って現地調査じゃ!と腹をくくって出発。


私のいるゲストハウスから車で10分くらい行ったところにバスステーションがあります。
KwaMhlanga行きのバスがあるかどうかもよくわからないけれど、行って聞いてみろと言われるのでとにかく行ってみました。


行ってみてビックリ、バス会社は10以上もあってしかも聞いて回ったらKwaMhlanga行きはない、と。



じゃあどうしろっちゅーねーん!!!




と途方に暮れているとお兄ちゃんが助け舟を出してくれました。
さすがアフリカ、周りの人もわらわらと寄って来て一緒に探してくれました。

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↑友達に電話で聞いてくれるお兄ちゃん


どうやら長距離バスではなくローカルなミニバスに乗ればいいらしい。

5分ほどてくてく歩いて外に出ると、ありましたミニバス!
しかしこのミニバス他のアフリカの国々よろしく、満席にならないと出発しない。しかも乗客は9時の時点で今のところまーヴただ一人です。
「まあ、朝飯でも一緒に食わんかね」
と言われ他の乗客を待つことに。
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二時間経過



「マイスウィートハートゆか、こら今日はあかんわ、あんた他のバス乗り継いで行きんさい」



今更!



そんなこんなで11時、まずPretoriaまで行ってそれからバスを乗り継いでKwaMhlangaを目指すことに。



無事に乗り継ぎを済まし、13:30、ようやっと着きましたKwaMhlanga!
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て、あれ?
こんなドデカいショッピングモールあるんやけど、ンデベレ村は一体どこ?
来る場所間違えたの私?


と不安になるもとにかく聞いてみないことには始まらない!
そこらへんでたむろしていたお兄ちゃん集団に聞いてみました。

「ンデベレ村に行きたいんだけど、どこか知ってる?」

「ンデベレ村!知ってるも何も俺たちンデベレ人だぜ!」





ビンゴーーーーー!!!!!



暇そうなお兄ちゃん達に案内を頼み、そこからタクシーを拾って30分ほど行ったところにあるSiyabswaという村を目指します。
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タクシーのおじちゃん「あんた南アフリカどんくらいおんの?」
まーヴ「4日くらい前に着きました」
タクシーのおじちゃん「えええ、ほんまかいなあんた!住んでると思うたわ!一人でヨハネスからこんな遠くまで来て、しかもこんな汚いお兄ちゃん達に話しかけて怖くないんかいな!」
まーヴ「全く!」
タクシーのおじちゃん「勇気あんなーお嬢ちゃん!」

まーヴはアフリカに一年住んで現地に馴染む術を身につけたようです。怖くないけどンデベレ村に着くのかが心配!


30分後





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つ、つ、つ、着いたあああああ!!!!



しかも聞いてビックリ!
ここはンデベレアートを世界に知らしめた超有名なアーティスト、Esther Mahlangu(エスターマサング)さんのお家だったのです!


ままままままさかご本人に逢えるわけあるまい、と思っていたのですが
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普通にいました。



まーヴ大感激!!!!!



エスターマサングさんは日本に来日して展覧会を開いたこともあるというようなお方で、来週にはニューヨークでの展覧会のため渡米するそうです。ひーえー


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この原色の入り乱れる世界に私の目はキラキラが止まりません。


ンデベレアートについて言及しますと、このカラフルなお家の装飾は全てンデベレの女性によってなされます。
そしてこのジオメトリックなアートは全てハンドライティングで描かれていて、定規などは一切用いません。
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使う画材は鶏の羽根です。



そしてまーヴが最も気になっていたのは真鍮のリングアクセサリーについて。
聞くと、
首飾りは親から、腕・足は夫から結婚の際に贈呈されるものらしく、それらは夫が死ぬまで外すことが出来ないそうです。もちろんシャワーのときも寝るときも!

物理的に外せないのではなく、文化的に外せないのです。

気になったのはエスターさんは何度も海外に行っているのに飛行機に乗るときに着脱を要求されなかったのかということ。

「毎回それがネックでねえ。いつも外せと言われるけれどンデベレの文化で外すことは許されないのよ。だからフランスに行くときの飛行機では許可を得るために一晩空港で待たなくてはならなかったわ。」

と真鍮リングエピソードを語ってくれました。
絶対重いだろうに、あんなものじゃらじゃら付けて眠るなんて信じられない。




ちなみにエスターさん、自分のお家の敷地内にゲストハウスも経営しております。(ウェブサイトはないので検索しても出てこないかも)
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一泊500R(約5000円)と、かなりラグジュアリーな感じでございます。
カップルでいかがでしょうか。(旅行会社の回し者ではない)


残念ながら今回は、その他のンデベレのお宅を訪問する時間の余裕がありませんでした。
エスターさんに写真を撮っていいですか?と聞くと20R(200円)要求されたので、まーヴは苦笑すると同時に観光客に慣れ、恐らく嫌気がさしているであろう彼女にとても申し訳ない気持ちになりました。(とか言ってやっぱり写真撮るのは日本人の性か)
もう少し歩いて回ったら村の様子もじっくり見れたと思いますが、今回はエスターさんに会えただけで万々歳としましょう。



エスニックグループのアートの歴史、文化は知れば知るほど面白い。
それは集団の秩序を守るためであったり、生きる意義を与えてくれるものであったりします。

現代を生きる日本人の私たちにはとっくに失われてしまったものだと思います。だからこそ私はそういう強いアイデンティティの主張に惹かれているのかもしれません。

多くのエスニックグループが入り乱れる世界に一年間身をおいて抱いた違和感は、日本ではなぜアイヌの人々について教えないのか、ということ。
それぞれが自分の出自に誇りを持って、「私は○○よ。」と自己紹介するタンザニア
日本ではアイヌの人々は自分のことを誇りを持って「アイヌ」だと名乗ることができるのでしょうか。
集団とは何かを考えるとき、アフリカ人の個々の在り方を私は非常に羨ましく思います。



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エスターさん、お兄ちゃんたち、ありがとうございました。


アパルトヘイトミュージアムへ

南アフリカに来てアパルトヘイトミュージアムに行かないわけにはいかぬ、ということでまーヴも例に漏れず行って参りました。


ゲストハウスから博物館までは遠く、タクシーをハイヤーするよりもツアーにした方が安かったのでツアー参加しました。
(そのツアー私一人だったから貸し切りだったんですけどね)




まずはCalton centerというアフリカ最高の建物で景気付け。
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キリマンジャロに続きこれでまーヴはアフリカビッグ2を制覇したわけです。えっへん


ヨハネスの街を一望した後はソウェトへ。


ソウェトとはSouth Western Townshipの略ですが、住民は'So Where To?'(それでどこへ?)と称するそうです。
その歴史は金鉱が発掘された時に遡りますが、アパルトヘイトの際に迫害された黒人の辿り着く最後の土地でもありました。いわゆるスラムです。


という前知識を持って行くと、思ってたより街は整備されていて綺麗な家も沢山みるし、あれ?という印象を受けます。
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これはアパルトヘイト廃止後に外国からの援助や国の政策によって建てられたものだそうで、その中には日本の援助によって建てられたものもあります。
ソウェトの中でも貧富の差があって、そういうところはいわゆる中流階級の人の家だそう。


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少し車を進めるとスラムがみえて来ました。この辺には水も電気もないそう。
格差はどこまでも広がります。



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かと思いきやこんな派手なものもあります。
そういえば日本のテレビ番組でおバカなタレントがやってるのを見たことある気がします。


そしてソウェトの中にあるマンデラハウスへ。

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かなり観光地化されていて周辺のお店もとても綺麗なのですが、マンデラが住んでいた当時は酷かったそう。
ここで彼は闘っていたのですね。



ソウェトを後にしてHector Pieterson博物館へ。
ヘクターピーターソンとは、アパルトヘイト政策の一環で導入されたアフリカーンス語の強制に対する反発運動をしている最中に殺されてしまった少年のことです。
彼はごく普通の少年に過ぎませんでしたが、殺されたことによりその写真が世界中に広まりアパルトヘイト運動の象徴になりました。

日本にいたら自分の母国語が存続の危機に晒されるなんていう状況は全く想像できませんが、ここ南アフリカでは実際にあったのです。
しかもそれが後からやって来た白人によって、白人の言語(アフリカーンス語)を強要されるのですから現地人はたまったもんじゃありません。


博物館では当時の写真やビデオを見ることができました。
アパルトヘイトに関する映画は日本でも今まで何本か観たことがありましたが、やはり何度観ても憤りを感じて、どうしても涙が出て来てしまいます。

写真は歴史を語ります。
あんなに小さな少年が、自分の言語を守るために意見を表明するだけで殺されてしまう、そんな世界がつい最近までここにはあったという事実を受け入れなければなりません。



そして最後はアパルトヘイトミュージアムへ。


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↑入り口の有名な"白人用"、"黒人用"のゲート


なんでも回るのに時間がかかると聞いてはいましたが、結局私は4時間近くかけて回りました。



「肌の色が違うのだから、それによって区別をするのは当然のことだ!」
と声高に演説する大統領に、大勢の聴衆が拍手喝采する時代がごく当たり前のように、私が生まれた後の世界にあったのです。


全くもって信じられないようなことですが、事実あったのです。


歴史は変えられません。
今私たちができることは、過去を学び、二度と繰り返さないと誓うことだけです。


差別についての歴史を学ぶからこそ差別が生まれる。知らなければ差別をせずに済む。

という人もあるかもしれません。
でもそれは違うと思います。

差別を受けて苦しんだ人たちを、それによって亡くなった多くの人たちを、私たちは無視してはいけないし、その差別が何によって生まれてどう利用されたのか知る必要があります。
次の差別を生まないために。


日本人にとってアパルトヘイトは遠い国の出来事かもしれませんが、当時の南アフリカの一番の貿易相手国だった日本が、アパルトヘイトを積極的にとは言わないまでも肯定、援助していたことは私たちも知っておくべきだと思います。

私たちだって加担する立場にあったのです。
日本の歴史の授業は本当に全くと言っていいほどアフリカの歴史については教えてくれません。

そういうことをちゃんと学校でも教えてほしいです。アフリカは遠くないし、私たちにも無関係じゃない!




と、ここまでがツアーで回ったところです。

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翌日、まーヴは憧れの南アフリカアカペラグループのライブへ!




ナイロビ滞在中にテレビを観ていたら流れてきたこのPV。
一瞬にしてまーヴは恋に落ちました。



そして彼らについて調べまくっていると、なんと私のヨハネス滞在中にライブをやるではありませんか!



幸運なことにまーヴはチケットをゲットし、ライブ参戦に成功しました。
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彼らはソウェトの出身で、「周りに楽器なんてないから自分たちで歌うしかなかった」と述べていました。
それを聞いただけて私の涙腺は崩壊しそうなのに、彼らの生の歌声は私の想像を軽く凌駕していました。


彼らの曲の中に"Asante sana"というスワヒリ語の曲があります。
この曲は南アフリカの独立の際にタンザニアやその周辺諸国に多くの助けをもらったことに対する感謝の意を表しています。
私の隣でも涙腺を崩壊させた女性がいましたが、それくらいに私も感動して鳥肌立ちっぱなしでした。


道具なしに人を感動させて、踊らせて、楽しませるってなんて素晴らしいのでしょう!

彼らの歌うズールー語は一切理解できませんが、音楽は世界共通言語なんですね!



ああ、本当に、信じられないくらいイケメンでした。


ヨハネスブルグの巻、ちゃんちゃん




腸チフスとヨハネスブルグと私

東アフリカ一人旅後半戦!
の記事の前に、リアルタイムで南アのことを書こうと思います。
iPhoneを使って書いてみるのでとっても慣れない作業ですが。


それもこれもまーヴのカメラさんがはたまたお陀仏になり、
ダルエスに帰ってもどーせiPhoneの写真をアップするしかないからです。無念!




さて、東アフリカの旅からタンザニアに帰国したまーヴ、
なんと南アフリカへ出発する前日に高熱を発しておりました。


風邪だと思って病院に行ってみたら
腸チフスと尿路感染症でした。

しかし!
発券したチケットは泣いても戻ってこないので、
翌日(昨日)ヨハネスブルグまで飛ぶことにしました。


薬のおかげで熱は下がっていたのですが、
案の定機内で吐き気と腹痛に襲われました。

たまたま隣の席になったお兄さんがタンザニア人で、
私の体調を心配して彼が膝枕してくれていました。


ヨハネスブルグに着くと、可愛らしいお姉さんが寄って来て、
「あなた体調悪いって嘘でしょう?彼を誘ってたんじゃないの?」
って嘲笑を帯びた物言いで言ってきました。


元気だったら一発平手打ちでも食らわしてやりたいくらいに私の心は波立ちました。
そしてこんな意地悪なタンザニア人もいるんだなあ、ととても悲しくなりました。



お姉さん、もしかして膝枕お兄さんを狙っていたのかしら。
申し訳ないけれど、彼は全くもって私のタイプではないので誘っていたなんてもってのほかであります。



そんな嫌ーな出来事もありましたが、
無事に夜の12時前にヨハネスブルグに到着しました。
予約していた空港近くのゲストハウスへは、
膝枕お兄さんがタクシーで送ってくれ、
心配していたヨハネス初日の夜を終えました。

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↑初日のゲストハウス


とっても素敵なゲストハウスだったので
長居したかったのですが、
一泊の料金が日本円にして4000円!
というバックパッカー泣かせな高値だったため、
あえなく退散。


本日タウン近くのBrown Sugar Backrackersへ移ってまいりました。ぱちぱち

やっぱり高級なところよりも、ちょっぴり土臭い感じの雰囲気のところの方がまーヴは心が落ち着くのです。
THE 庶民!



ところで只今ヨハネスブルグの気温は日中16度、夜の最低気温は6度です。
はたまた下調べ甘々でやってきたまーヴは寒すぎて凍え死そうです。



そんなわけでお洋服調達のため本日ショッピングモールへ行って参りました!
頭ではわかっていたのですが、実際にヨハネスの街を見てビックリしている自分を分析するに、やっぱり私は南アフリカの都会度を舐めていたのです。


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↑ショッピングモール内


セーターでも買うか、と思って値札を手にとってビックリ。
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セールなのに日本円にして約7500円。




…買えません。



この大型ショッピングモール内、
DIESELPOLOなどの海外有名ブランドも多数軒を連ねており、まーヴは歩いているだけで肩身が狭まる思いがしました。



さてこんな寒いヨハネスの街、
寒いからこその大特典があるのです。


それは
道ゆく黒人男性のセーター姿!




タンザニアダルエスサラームに住んでいたらセーターを着ている人なんて滅多にお目にかかれません。



そう、何を隠そうわたくしまーヴ、
『漆黒の肌の男性がセーターに身を包んでいる姿』
フェチなのです。(知るか



南アフリカヨハネスブルグはまーヴにとってHEAVENでした。(それよりセーターはよ買え



さて、気になる南アフリカのお食事はというとこんな感じです。
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↑ゲストハウスの夕食

奥の白いものはパップというもので、タンザニアのウガリのようなものです。
どちらもトウモロコシの粉で作りますが、南アフリカのパップは水気が多く、スプーンで食べた方がいい感じです。



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夕食後ダイニングでくつろいでいたら、30人くらいの子どもに襲撃されました。
やっぱり子ども嫌いです。(泣)



明日はアパルトヘイトミュージアムに行って参ります。

東アフリカぶらり旅前半戦

ただいま!ダルエスサラーム

 

3週間の濃~い東アフリカ一人ぶらり旅から帰ってまいりました!

せっかく旅してきたのに共有する相手もいないので、

タンザニアに一年住んだものの目線から

写真付きでざざっとまとめてみようと思います。

(お陀仏となったカメラくんはどういう風の吹き回しか息を吹き返しました)

 

 

7月8日

ダルエスサラームからタンザニアの西端キゴマを憧れの列車で目指します。

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17時出発予定だった列車は3時間遅れの20時に出発。 

これも予定の範囲内か、ああタンザニア

 

 

列車は1~3等まで用意されておりますが、3日に渡る長旅のため

まーヴは迷わず1等車を選択。

 

1等車は一部屋に二人の寝台車になっていて、ベッドは二段になっています。

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↑同室のママ

 

さすが一等!部屋には水道も通っているというラグジュアリーさ!

(大学の寮よりもずっと過ごしやすいぞ)

 

気になるトイレはこんな感じ。

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底に穴が開いていて、外から見ると列車が排泄しているみたいです。

 

 

 

ラマダーン中だったのでイスラム教徒のお兄ちゃんたちは日中断食しておりました。

彼らは日中の断食はさることながら、水を口にすることも禁じられています。

神聖な期間だから、とお祈りの仕方などを丁寧にスワヒリ語で説明した本を

まーヴに読んで聞かせてくれました。

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ようし、まーヴも一丁断食してみっか!

と思い立ち、お兄ちゃんたちと一緒にプチ断食しました。

(彼らは30日間、もちろんまーヴは一日のみ)

まあ、まーヴはこっそり裏で水飲んだけどね。

 

と、まーヴがイスラム教にどっぷり浸かり始めたとき、

突然食堂車に一人の男が喚きながら入ってきました。

 

「私はイエスの子どもだ!」

彼はカンズを纏っています。

 

その男は声高らかにこう続けました。

 

「しかし、私にはこの列車に乗車する金がない!」

 

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「じゃあなんで乗ってきたんやあほちゃう!」と周りのお兄ちゃんたち。

「助けてくれないか同志よ。私はイエスの子どもなのだから。」

 

目の前で彼の演説を聞いていたまーヴは一人笑いが止まりません。

彼はそのあと管理室に連行され、その度胸を買われたのか

列車タダ乗りに成功したらしいです。物は試しね。

 

 

日が落ち、夕方6時を回ると日中断食解禁です。

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↑フタリ

 

まずはフタリと呼ばれる、空っぽの胃に優しい軽めのご飯から頂きます。

このフタリはバナナとさつまいもを煮込んだものでした。

断食後のご飯は美味!

彼らはこの後ダクと呼ばれる本格ご飯をどっかと

頂きますが、まーヴはその前に就寝しました。

だってお兄ちゃんたち夜の10時過ぎからダク食べるんですもん。

しかもすごい量食べるから断食しても痩せないらしい。無念!

 

 

翌朝起きたら鶏さんが部屋にいました。

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バッグの中で身じろぎひとつせず大人しくしています。

ママは「安かったのよ~!」と嬉しそう。

道中の小さな駅では物売りの人がここぞとばかりに列車に集ってくるのですが、

その値段と言ったら破格!

おばちゃんだけでなくおじちゃんもバケツ一杯に

採れたてお野菜を購入していました。

 

 

夕日が列車を赤く染め上げ、列車はコトコト、ポレポレ進みます。

家路に着く子どもたちの声が遠くにこだまして聞こえます。

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(『世界の車窓から』風)

 

 

午前8時に着く予定だった目的地キゴマについたのは、

夜の12時を回っていました。

行く宛もないまーヴを心配して、この日ママはまーヴをお家に招いてくれました。

ありがとうございますー(泣)(泣)(泣)

 

 

 

翌朝起きると、私のためにママが鶏を一羽絞めてくれていました。

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大学生の娘のエヴァちゃんの手さばきもすごかったです。

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ママの家の目の前にはタンガニーカ湖が広がっていました。

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海じゃないから塩臭くないし、子どもたちも遊んでいて癒されました。

 

 

 

さてママに見送られダルエス出発から4日後、

ついにタンザニアを出国しブルンジへ!

大きなバスを想像していたのに、かなり心もとない小さなワゴン車です。

 

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「これで国境超えるんすか兄さん!」

って思わず言っちゃいましたよ。

 

この小さなワゴン車にすし詰め状態で22人押し込められ、

8時間後にブルンジの首都、ブジュンブラに到着しました。

 

ベルギー宗主国だったことが関係しているのかしていないのか、

街並みはすっきりとしていてかなりオシャレ!(タンザニア人目線)

そんなおしゃれな街に来てまーヴ大ピンチの巻、

なんと頼りにしていたATMからお金が出てこない!

しかも国境で換金するのも忘れていたため無一文。

 

 

そんなアホまーヴの元にお助けマンが降臨しました。

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↑お助けマンだいすけ(なんか戦隊モノのヒーローみたい)

 

 

彼がいなかったら私今頃ブルンジでのたれ死んでました。(過言ではない!)

そんなこんなでブルンジではだいすけマンにお世話になりっぱなしでした。

 

それではだいすけマンプレゼンツのブルンジ

写真付きのダイジェスト版でお届け!

 

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↑だいすけマンのホームステイ先のご近所の子ども

 

ブルンジの子ども皆がそうかはわからないけれども、

私が扉を開ける前に子どもたちは勢い勇んで駆け寄ってきて、

力いっぱいにぎゅーって抱きついてきてくれました。

 

子どもが苦手なまーヴもこんなにでれでれ。

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 あかん、この子可愛すぎやろ。

 

 

そして特筆すべきは食べ物!!!!

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↑憧れのパッションフルーツ

 

東アフリカの国の中で、ブルンジほど果物がおいしい国はないでしょう。

タンザニアも相当果物がおいしいと思っていましたが、ブルンジには惨敗です。

パッションの酸味の後ろから垣間見える甘さはまるで優美に舞う少女のようで

バナナは一噛みすればたちまち皇居にいるかのような錯覚に襲われるほど甘いのです!

 

素材がよければ料理センスもエクセレント。

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↑大学の職員用(ちょっぴり高級)カフェテリアにて

 

見てくださいよこの美しい盛り方。

しかもこれ大学カフェテリアのクオリティーですよ?!

・・・ダル大もがんばれ!!!

もちろん見た目もさることながら、お味の方も美味でした。

 

 

逆にタンザニアと同じ点は、

・中国人中国人うるさい

・列を作らない

・カメラを向けた途端キメ顔

といったところです。

まあ隣国ですものね。

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↑笑顔にはさまれた超キメ顔のデオ君

 

 

 

ブルンジの首都ブジュンブラは、内陸国のためか

かなり街の規模が小さく、フランス語が公用語のため

今後の経済発展も前途多難なのでは、と感じました。

 

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↑同じ紙幣でこんなにも差がある!タンザニアよりやばい!

 

 

 

 最後に特筆すべきは、まーヴが黒人とのミックスと

かなり本気で疑われたことです。なんでやー

 

本当にお世話になりました。

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↑やっぱり戦隊モノのヒーローみたい。

 

 

お次はルワンダウガンダ、ケニアです。(『世界の車窓から』風)

 

 

 

 

 

 

 

 

腰振る夜の結婚式

テスト期間が明け、ナミダ涙のお別れラッシュが先週終わりました。

私が一日に摂取する約1.5リットルの水は全て、

私の目から体外へと出ていっているのではないかと疑う程、毎日泣きました。

 

私のおった鶴をとっても大事そうにポケットにしまうその仕草を、

私は一生忘れません。合掌

大好きなイケメン君たち、一年間まーヴのお世話ありがとう。

 

 

さて、先日まーヴはキリスト教徒の結婚式にお呼ばれしました。

「お呼ばれ」と言っても、私のお友達ではなく

私のお友達のお友達の結婚式で、

まーヴの全く面識のない人の結婚式です。

 

 

結婚式に参列させてもらうのはこれで3回目ですが、

その3回ともが知らない人の結婚式でした。

「こういう祝い事は人数が多い方がいいから!」

という理由で、私は当日になって何の準備もなしに

突然強制参列させられることになったのです。

 

 

そんな感じでとってもオープンなタンザニアの結婚式。

アジア人のまーヴが紛れ込んでいても

誰も私を指さしてひそひそ話することはなく、

「かりぶ~(ようこそ)!」

と皆が笑顔で迎えてくれます。

 

 

こちらの結婚式は通常夜に行われます。

私の参列した結婚式も夜9時頃始まりました。

 

 

さて私のお友達のアリーくんですが、

今回はDJとしてこの結婚式に召喚されていました。

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(あかん、横顔がイケメンすぎて見とれてしまう・・・)

 

 

 

司会者が場の空気を温めたところで、

まずは新郎新婦の登場です。

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花嫁さんもきれいだったけども、新郎さんめちゃイケメンでした。

 

 

新郎新婦の入場が完了したところで

立ち合い人によってシャンパンが開けられます。

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↑しゅぽっ!

 

シャンパンが開けられるまで、この立ち合い人の彼は

音楽に合わせて約3分間踊らされていました。

大勢の前で3分も一人で踊るとなると

日本人の私から言えば「鬼畜」以外の何物でもないですが、

タンザニアでは当たり前のことのようです。

 

 

お次はお決まりのケーキ入刀です。

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ケーキを切ったあとは、新郎新婦がケーキをお互いの口に

「あーん」で食べさせ、そのままおアツイ接吻となります。

参列者がここぞとばかりにヤジを飛ばします。

 

 

新郎新婦がケーキを食べた後は、

お互いの親族に「あーん」で食べさせてあげます。

新郎は新婦の両親に、新婦は新郎の両親に、です。

自分がやると思うとなかなか緊張しますね。

 

 

お次は、親族紹介。

ケーキ同様、新郎は新婦の親族、新婦は新郎の親族

の名前を一人ひとり呼び上げていきます。

「2列目の右端にお座りの御兄さんのバラカさん、お立ち願います。」

という具合に一人ひとり紹介しなければならないので、

名前と顔をちゃんと覚えていないと大変なことになります。

 

ちなみに全く部外者の私にとっては、

最も退屈な時間です。(しかもこれがやたらと長い!)

 

 

退屈な親族紹介が終わると、

ダンスタイムに入ります。

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それぞれの親族が順番に前に出てきて、

5分ほどぎゃーぎゃー騒ぎながら

踊り狂うのです。

ものすごいスピードで動く腰の動きに、

まーヴは口があんぐりです。

寝ているあかちゃんを抱えて踊っているママには

すごいですね、の一言です。

 

 

踊り狂ったあとはプレゼントの贈呈です。

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プレゼントには、

タンザニアの女性が使う布、カンガ、

西アフリカからやってきた色鮮やかな布、キテンゲ、

これからの新婚生活に重宝するであろう、食器

などなどが贈呈されておりました。

 

 

この贈呈の時も、音楽に合わせて踊りながら前に出てきます。

本当にタンザニア人は良く踊る・・・。

 

 

11時を回ったころ、何も食べずにやってくる

参列者のお腹がぺこぺこになる頃です。

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会場の後方でママたちがご飯を用意してくれているので、

皆で行列をつくります。

 

 

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↑バケツに大量の豪華ご飯を用意してくれているママたち。(バケツかよ!)

 

 

 

結婚式の時のごはんは

ピラウ(日本の混ぜご飯のようなもの)、焼きバナナ、ムチュジ、

鶏肉足一本分、ケーキ(新郎新婦が切ったやつの欠片)、果物などなど

が一皿にこんもりと盛られ、とっても豪華です。

 

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↑赤ちゃんもよだれを垂らしてご満悦の様子

 

 

食事中も音楽がガンガン鳴り止まないので、

酔っぱらった近所のおじさんはダンスが止まりません。

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↑一人でフォーフォー言って踊り狂っている。

 

周りの人はそんな酔っ払いに見向きもせずに

豪華な食事に夢中です。

 

 

ご飯をみんなが食べ終わると

そのまま結婚式はお開きになり、

DJのかける音楽にひたすら踊り狂います。

 

踊っているみんなの笑顔は本当に楽しそうで、

うまく腰が振れないまーヴでさえも

一緒に踊りだしたくなってしまいます。

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↑腰がオートマティカリーに動いちゃうっ

 

 

かたや、ひな壇でずーと座らされている新婚夫婦はむっつり顔で

多少疲れているご様子です。

きっと準備とかでへとへとになっちゃったんでしょうね。

それで踊り狂っている参列者を見ると、

結婚式は「祝われる者のため」にするものではなく、

「みんなのため」にするものなのだと感じました。

タンザニア人にとって結婚式は

日常から離れられる数少ないハレの日なのです。

 

話は結婚式から飛びますが、

 同年代の子たちが成人式で大人の階段を上っている頃

まーヴは浪人真っ最中で成人式に出る心の余裕などなく、

前撮りさえもしませんでした。

その当時は、意義のよくわからない通過儀礼にかける時間とお金が

もったいないと心から思っていましたが、

タンザニアの結婚式に参列し、

そしてアフリカのエスニックグル―プの慣習を学ぶにつけ、

日本にいたときは考えもしなかった日本の慣習を見直すようになりました。

 

私が成人式をスキップしたことで、祖父母は私の着物姿を

見れなかったわけですが、それだけでなく

普通通りに成人式というイベントに参加すれば

生まれたであろう家族や親戚との会話の機会を、

一緒に過ごす時を、私は

永遠に失ってしまったのです。

家族や親戚から奪ってしまったと言うべきなのかもしれません。

 

 

なんて、23歳になった今思ってももう遅いですが、

違った角度から物事を考える機会を私に与えてくれたこの留学は、

少なくとも人生における大事な一年となりました。

 

 

もっと周りの人を大切にしよう。腰振れるようになろう。

と思わせてくれたタンザニアの結婚式でした。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

明日から約3週間、東アフリカ一人ぶらり旅に出てまいります。

ブルンジルワンダウガンダ→ケニアと回る予定です。

 

ダルエスサラームからキゴマまでは時速30キロの列車に揺られて

ちんたら車窓からの眺めを楽しんできます。

ちなみに列車で2泊します。(遠いよー!)

 

 

私の一眼レフカメラはまたもやお陀仏となったため

写真を撮る楽しみを奪われたまーヴですが、

現地の人との会話を楽しみにのんびり旅してきます。

 

 

それではクワヘリ~!