東アフリカぶらり旅後半戦
雲の切れ間から出現する神々しいご来光を拝みつつ、
ついにスワヒリ語の通じない国へ!どきどき
ブジュンブラの街並みもきれいでしたがルワンダの首都キガリもかなり美しい。
さすがアフリカのシンガポールと言う異名を持つだけありますな・・・
街中にたくさんのごみ箱を見かけました。
ダルエスサラームの都市計画は一体どうなっているのでしょうか、
見習ってほしいものです。
赤煉瓦と緑のコントラストはどこかヨーロッパを思わせます。
(まーヴはヨーロッパ行ったことないけどな!)
ルワンダと言えば1994年に始まるジェノサイド。
私の生後です。
そう、ルワンダジェノサイドは本当につい最近起こったことなのです。
生まれてこの方平和な日本に生きてきた私としては、
自分の生後にこの地球のどこかでジェノサイドが起こったなんて
全く信じられません。
ルワンダのジェノサイドについて簡単に。
悲劇は宗主国であったベルギーが、国民をフツとツチという民族に分けたことに始まります。
その分け方はかなり曖昧なもので、例えば鼻の高さが基準になっていたりしました。
植民地当局はツチを優遇することで、国を治めようとしたのです。
そして1930年代にはIDカード制が導入され、出身民族が重要視されるようになります。
その後、ベルギーは多数派のフツを優遇するようになり、この2つの民族間対立は更に悪化します。
1994年、ハビャリマナ(ルワンダ大統領)とンタリャミラ(ブルンジ大統領)が暗殺されたのをきっかけに、ルワンダ大虐殺が始まります。
それからRPF(ルワンダ愛国戦線)が同国を制圧するまでの、この100日間の出来事を「ルワンダジェノサイド」と呼びます。
この100日間でフツ過激派により多数のツチが殺されました。
その数は約100万人と言われています。
詳しくは→ルワンダ虐殺 - Wikipedia
という映画でルワンダジェノサイドについて知りました。
「アフリカに関して勉強しよう」という意思を持って、
初めて主体的に手に取ったものが
この歴史的大悲劇が題材になったものでした。
(というかアフリカは歴史的大悲劇的ネタには事欠かないか。哀しいかな)
映画で観たときの衝撃もすさまじかったですが、
自分が今その土地を踏みしめていると思うと、
記念館の展示物はもっと生々しく私の胸に迫ってきました。
↑虐殺で殺害された人々の骸骨
※歴史は伝えるべきものだと思うので、
迷いましたがこの写真も載せますご了承くださいね。
頭蓋骨が割れているのはナタを頭から振り下ろされたからです。
虐殺時、多くの人がナタを使って殺されたと言います。
↑殺害された人々の写真
子どもの頃目の前で母親を殺された女性が、
大声でわめくでもなく、静かに涙を落としながら
当時の様子を語っているビデオがありました。
想像するだに恐ろしい光景ですが、
彼女の人生に一生付き纏うであろう
残酷な場面であることには間違いありません。
当事者の語りは制作された映画よりも
ずっしりと私の心に刻まれました。
この悲劇が繰り返されないことを切に願います。
さて、ルワンダでまーヴがお世話になったのは
またもや見知らぬルワンダ人でした。
だいすけマンの知り合いの知り合いを紹介してもらい、
アポなしで押しかけたところ(ずうずうしい)、
嫌な顔一つせず超寛大な心でもってまーヴを
大歓迎してくれたのでした。
↑ダニエル夫妻(ダニエルぱぱいけめん!)
お家の立派さからして超お金持ちだと思われます。
突然やってきた汚らしい娘の世話をする器のでかさもそうですが、
私の話に懸命に耳を傾けてくれるの二人のその姿勢に、
まーヴは心から感激いたしました。
ダニエルファミリーと話したことについては、
また別の記事に改めて書いてみようと思います。
お礼に日本食を振舞ったらとっても喜んで全部たいらげてくれました。
ご飯食べてもらうのってこんなに嬉しいことなんだね。
↑お手伝いのクロウディーンとカドゴ
彼らにキニャルワンダ語を少し教えてもらいました。
やっぱり現地の言葉を話すとものすごく喜んでくれます。
英語もスワヒリ語も通じないけれど、
なんとなく言いたいことは伝わるんです。感動。
ルワンダに来てびっくりしたことは
・車間距離が広い!
・ピキピキ(バイクタクシー)がヘルメットを被っている!!
・パンがおいしい!!!
といったところです。
↑見てこの洒落おつなパンたち!
カンパラでは大学の先輩彩華さんのところでお世話になりました。
タンザニアに出るかケニアに出るかしかないからです。
そして英語の浸透率はタンザニアよりも高いように思われました。
例えば道で野菜を売っているおばちゃんやピキピキのお兄ちゃんでも英語はペラペラです。
タンザニアの場合は英語の前にスワヒリ語を習得しないといけないので、
英語の浸透率は幾分か下がるのでしょう。
タンザニアでは英語が話せるピキピキのお兄ちゃん、
ないしは道端の商人に出会うことはまずありません。
カンパラ市内ではケニアから進出してきた
巨大ショッピングモールや、おしゃれ雑貨に
たくさん出くわしました。ケニアの勢いは外国でも健在です。
↑fromケニアのこのオシャレさ!
ちなみにタンザニアにはこんなにオシャレなものはないです。
・・・がんばれタンザニア!
そして何と言ってもウガンダのハイライトは
この超イケメンモデルさんたち
「イケメン過ぎて手震えた」そうです。by彩華さん
お店にこの人たちが入ってきたとき、
まーヴの空いた口はふさがりませんでした。イケメン過ぎて
超汚い草履はいて「写真撮ってください」
って近づいて行った自分を褒めてあげたいです。
とここでウガンダのイケメンを紹介した後でなんですが、
やっぱりタンザニアはイケメンが多いです。
この見解にはかなり個人差があるかと思いますが、
男性の一人あたりの筋肉量を測れば、
きっとタンザニアは他の東アフリカ諸国を寄せ付けないでしょう。
タンザニアは程よくムキムキなお兄さんのパラダイスです。(変態か)
そして名前を聞いた後には必ず
「電話番号教えて」
「愛してる」
「結婚して」
と言ってくれます。(イケメンのお兄ちゃんたちが!)
っていうようなことをタンザニアの売りにしていったら
もっと日本人観光客増えると思うんですけど、
観光業界の方、どうでしょうか。(喜ぶのはまーヴだけか)
最後にまーヴの変態っぷりを発揮してしまいました。
お次はイケメンパラダイスのケニアです。
ブロークンハートボツワナ
まーヴにはボツワナ人のボーイフレンドがいました。
落差と幅の両面から見た滝の規模としては、イグアスの滝と並んで世界最大である。この2つの滝に匹敵する規模の滝は他には無く、たとえばナイアガラの滝もこの2つと較べるとかなり小さい。また、増水期の水量においてもイグアスと並んで世界最大級である[3]。
ンデベレ村への大冒険
アパルトヘイトミュージアムへ
腸チフスとヨハネスブルグと私
東アフリカぶらり旅前半戦
ただいま!ダルエスサラーム!
3週間の濃~い東アフリカ一人ぶらり旅から帰ってまいりました!
せっかく旅してきたのに共有する相手もいないので、
タンザニアに一年住んだものの目線から
写真付きでざざっとまとめてみようと思います。
(お陀仏となったカメラくんはどういう風の吹き回しか息を吹き返しました)
7月8日
ダルエスサラームからタンザニアの西端キゴマを憧れの列車で目指します。
17時出発予定だった列車は3時間遅れの20時に出発。
これも予定の範囲内か、ああタンザニア。
列車は1~3等まで用意されておりますが、3日に渡る長旅のため
まーヴは迷わず1等車を選択。
1等車は一部屋に二人の寝台車になっていて、ベッドは二段になっています。
↑同室のママ
さすが一等!部屋には水道も通っているというラグジュアリーさ!
(大学の寮よりもずっと過ごしやすいぞ)
気になるトイレはこんな感じ。
底に穴が開いていて、外から見ると列車が排泄しているみたいです。
ラマダーン中だったのでイスラム教徒のお兄ちゃんたちは日中断食しておりました。
彼らは日中の断食はさることながら、水を口にすることも禁じられています。
神聖な期間だから、とお祈りの仕方などを丁寧にスワヒリ語で説明した本を
まーヴに読んで聞かせてくれました。
ようし、まーヴも一丁断食してみっか!
と思い立ち、お兄ちゃんたちと一緒にプチ断食しました。
(彼らは30日間、もちろんまーヴは一日のみ)
まあ、まーヴはこっそり裏で水飲んだけどね。
と、まーヴがイスラム教にどっぷり浸かり始めたとき、
突然食堂車に一人の男が喚きながら入ってきました。
「私はイエスの子どもだ!」
彼はカンズを纏っています。
その男は声高らかにこう続けました。
「しかし、私にはこの列車に乗車する金がない!」
「じゃあなんで乗ってきたんやあほちゃう!」と周りのお兄ちゃんたち。
「助けてくれないか同志よ。私はイエスの子どもなのだから。」
目の前で彼の演説を聞いていたまーヴは一人笑いが止まりません。
彼はそのあと管理室に連行され、その度胸を買われたのか
列車タダ乗りに成功したらしいです。物は試しね。
日が落ち、夕方6時を回ると日中断食解禁です。
↑フタリ
まずはフタリと呼ばれる、空っぽの胃に優しい軽めのご飯から頂きます。
このフタリはバナナとさつまいもを煮込んだものでした。
断食後のご飯は美味!
彼らはこの後ダクと呼ばれる本格ご飯をどっかと
頂きますが、まーヴはその前に就寝しました。
だってお兄ちゃんたち夜の10時過ぎからダク食べるんですもん。
しかもすごい量食べるから断食しても痩せないらしい。無念!
翌朝起きたら鶏さんが部屋にいました。
バッグの中で身じろぎひとつせず大人しくしています。
ママは「安かったのよ~!」と嬉しそう。
道中の小さな駅では物売りの人がここぞとばかりに列車に集ってくるのですが、
その値段と言ったら破格!
おばちゃんだけでなくおじちゃんもバケツ一杯に
採れたてお野菜を購入していました。
夕日が列車を赤く染め上げ、列車はコトコト、ポレポレ進みます。
家路に着く子どもたちの声が遠くにこだまして聞こえます。
(『世界の車窓から』風)
午前8時に着く予定だった目的地キゴマについたのは、
夜の12時を回っていました。
行く宛もないまーヴを心配して、この日ママはまーヴをお家に招いてくれました。
ありがとうございますー(泣)(泣)(泣)
翌朝起きると、私のためにママが鶏を一羽絞めてくれていました。
大学生の娘のエヴァちゃんの手さばきもすごかったです。
ママの家の目の前にはタンガニーカ湖が広がっていました。
海じゃないから塩臭くないし、子どもたちも遊んでいて癒されました。
さてママに見送られダルエス出発から4日後、
大きなバスを想像していたのに、かなり心もとない小さなワゴン車です。
「これで国境超えるんすか兄さん!」
って思わず言っちゃいましたよ。
この小さなワゴン車にすし詰め状態で22人押し込められ、
ベルギーが宗主国だったことが関係しているのかしていないのか、
街並みはすっきりとしていてかなりオシャレ!(タンザニア人目線)
そんなおしゃれな街に来てまーヴ大ピンチの巻、
なんと頼りにしていたATMからお金が出てこない!
しかも国境で換金するのも忘れていたため無一文。
そんなアホまーヴの元にお助けマンが降臨しました。
↑お助けマンだいすけ(なんか戦隊モノのヒーローみたい)
彼がいなかったら私今頃ブルンジでのたれ死んでました。(過言ではない!)
そんなこんなでブルンジではだいすけマンにお世話になりっぱなしでした。
それではだいすけマンプレゼンツのブルンジを
写真付きのダイジェスト版でお届け!
↑だいすけマンのホームステイ先のご近所の子ども
ブルンジの子ども皆がそうかはわからないけれども、
私が扉を開ける前に子どもたちは勢い勇んで駆け寄ってきて、
力いっぱいにぎゅーって抱きついてきてくれました。
子どもが苦手なまーヴもこんなにでれでれ。
あかん、この子可愛すぎやろ。
そして特筆すべきは食べ物!!!!
↑憧れのパッションフルーツ
東アフリカの国の中で、ブルンジほど果物がおいしい国はないでしょう。
タンザニアも相当果物がおいしいと思っていましたが、ブルンジには惨敗です。
パッションの酸味の後ろから垣間見える甘さはまるで優美に舞う少女のようで
バナナは一噛みすればたちまち皇居にいるかのような錯覚に襲われるほど甘いのです!
素材がよければ料理センスもエクセレント。
↑大学の職員用(ちょっぴり高級)カフェテリアにて
見てくださいよこの美しい盛り方。
しかもこれ大学カフェテリアのクオリティーですよ?!
・・・ダル大もがんばれ!!!
もちろん見た目もさることながら、お味の方も美味でした。
逆にタンザニアと同じ点は、
・中国人中国人うるさい
・列を作らない
・カメラを向けた途端キメ顔
といったところです。
まあ隣国ですものね。
↑笑顔にはさまれた超キメ顔のデオ君
かなり街の規模が小さく、フランス語が公用語のため
今後の経済発展も前途多難なのでは、と感じました。
↑同じ紙幣でこんなにも差がある!タンザニアよりやばい!
最後に特筆すべきは、まーヴが黒人とのミックスと
かなり本気で疑われたことです。なんでやー
本当にお世話になりました。
↑やっぱり戦隊モノのヒーローみたい。
お次はルワンダ、ウガンダ、ケニアです。(『世界の車窓から』風)
腰振る夜の結婚式
テスト期間が明け、ナミダ涙のお別れラッシュが先週終わりました。
私が一日に摂取する約1.5リットルの水は全て、
私の目から体外へと出ていっているのではないかと疑う程、毎日泣きました。
私のおった鶴をとっても大事そうにポケットにしまうその仕草を、
私は一生忘れません。合掌
大好きなイケメン君たち、一年間まーヴのお世話ありがとう。
さて、先日まーヴはキリスト教徒の結婚式にお呼ばれしました。
「お呼ばれ」と言っても、私のお友達ではなく
私のお友達のお友達の結婚式で、
まーヴの全く面識のない人の結婚式です。
結婚式に参列させてもらうのはこれで3回目ですが、
その3回ともが知らない人の結婚式でした。
「こういう祝い事は人数が多い方がいいから!」
という理由で、私は当日になって何の準備もなしに
突然強制参列させられることになったのです。
そんな感じでとってもオープンなタンザニアの結婚式。
アジア人のまーヴが紛れ込んでいても
誰も私を指さしてひそひそ話することはなく、
「かりぶ~(ようこそ)!」
と皆が笑顔で迎えてくれます。
こちらの結婚式は通常夜に行われます。
私の参列した結婚式も夜9時頃始まりました。
さて私のお友達のアリーくんですが、
今回はDJとしてこの結婚式に召喚されていました。
(あかん、横顔がイケメンすぎて見とれてしまう・・・)
司会者が場の空気を温めたところで、
まずは新郎新婦の登場です。
花嫁さんもきれいだったけども、新郎さんめちゃイケメンでした。
新郎新婦の入場が完了したところで
立ち合い人によってシャンパンが開けられます。
↑しゅぽっ!
シャンパンが開けられるまで、この立ち合い人の彼は
音楽に合わせて約3分間踊らされていました。
大勢の前で3分も一人で踊るとなると
日本人の私から言えば「鬼畜」以外の何物でもないですが、
タンザニアでは当たり前のことのようです。
お次はお決まりのケーキ入刀です。
ケーキを切ったあとは、新郎新婦がケーキをお互いの口に
「あーん」で食べさせ、そのままおアツイ接吻となります。
参列者がここぞとばかりにヤジを飛ばします。
新郎新婦がケーキを食べた後は、
お互いの親族に「あーん」で食べさせてあげます。
新郎は新婦の両親に、新婦は新郎の両親に、です。
自分がやると思うとなかなか緊張しますね。
お次は、親族紹介。
ケーキ同様、新郎は新婦の親族、新婦は新郎の親族
の名前を一人ひとり呼び上げていきます。
「2列目の右端にお座りの御兄さんのバラカさん、お立ち願います。」
という具合に一人ひとり紹介しなければならないので、
名前と顔をちゃんと覚えていないと大変なことになります。
ちなみに全く部外者の私にとっては、
最も退屈な時間です。(しかもこれがやたらと長い!)
退屈な親族紹介が終わると、
ダンスタイムに入ります。
それぞれの親族が順番に前に出てきて、
5分ほどぎゃーぎゃー騒ぎながら
踊り狂うのです。
ものすごいスピードで動く腰の動きに、
まーヴは口があんぐりです。
寝ているあかちゃんを抱えて踊っているママには
すごいですね、の一言です。
踊り狂ったあとはプレゼントの贈呈です。
プレゼントには、
タンザニアの女性が使う布、カンガ、
西アフリカからやってきた色鮮やかな布、キテンゲ、
これからの新婚生活に重宝するであろう、食器
などなどが贈呈されておりました。
この贈呈の時も、音楽に合わせて踊りながら前に出てきます。
本当にタンザニア人は良く踊る・・・。
11時を回ったころ、何も食べずにやってくる
参列者のお腹がぺこぺこになる頃です。
会場の後方でママたちがご飯を用意してくれているので、
皆で行列をつくります。
↑バケツに大量の豪華ご飯を用意してくれているママたち。(バケツかよ!)
結婚式の時のごはんは
ピラウ(日本の混ぜご飯のようなもの)、焼きバナナ、ムチュジ、
鶏肉足一本分、ケーキ(新郎新婦が切ったやつの欠片)、果物などなど
が一皿にこんもりと盛られ、とっても豪華です。
↑赤ちゃんもよだれを垂らしてご満悦の様子
食事中も音楽がガンガン鳴り止まないので、
酔っぱらった近所のおじさんはダンスが止まりません。
↑一人でフォーフォー言って踊り狂っている。
周りの人はそんな酔っ払いに見向きもせずに
豪華な食事に夢中です。
ご飯をみんなが食べ終わると
そのまま結婚式はお開きになり、
DJのかける音楽にひたすら踊り狂います。
踊っているみんなの笑顔は本当に楽しそうで、
うまく腰が振れないまーヴでさえも
一緒に踊りだしたくなってしまいます。
↑腰がオートマティカリーに動いちゃうっ
かたや、ひな壇でずーと座らされている新婚夫婦はむっつり顔で
多少疲れているご様子です。
きっと準備とかでへとへとになっちゃったんでしょうね。
それで踊り狂っている参列者を見ると、
結婚式は「祝われる者のため」にするものではなく、
「みんなのため」にするものなのだと感じました。
タンザニア人にとって結婚式は
日常から離れられる数少ないハレの日なのです。
話は結婚式から飛びますが、
同年代の子たちが成人式で大人の階段を上っている頃
まーヴは浪人真っ最中で成人式に出る心の余裕などなく、
前撮りさえもしませんでした。
その当時は、意義のよくわからない通過儀礼にかける時間とお金が
もったいないと心から思っていましたが、
タンザニアの結婚式に参列し、
そしてアフリカのエスニックグル―プの慣習を学ぶにつけ、
日本にいたときは考えもしなかった日本の慣習を見直すようになりました。
私が成人式をスキップしたことで、祖父母は私の着物姿を
見れなかったわけですが、それだけでなく
普通通りに成人式というイベントに参加すれば
生まれたであろう家族や親戚との会話の機会を、
一緒に過ごす時を、私は
永遠に失ってしまったのです。
家族や親戚から奪ってしまったと言うべきなのかもしれません。
なんて、23歳になった今思ってももう遅いですが、
違った角度から物事を考える機会を私に与えてくれたこの留学は、
少なくとも人生における大事な一年となりました。
もっと周りの人を大切にしよう。腰振れるようになろう。
と思わせてくれたタンザニアの結婚式でした。
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明日から約3週間、東アフリカ一人ぶらり旅に出てまいります。
ダルエスサラームからキゴマまでは時速30キロの列車に揺られて
ちんたら車窓からの眺めを楽しんできます。
ちなみに列車で2泊します。(遠いよー!)
私の一眼レフカメラはまたもやお陀仏となったため
写真を撮る楽しみを奪われたまーヴですが、
現地の人との会話を楽しみにのんびり旅してきます。
それではクワヘリ~!