まーヴのタンザニア暮らし

アフリカ、タンザニアでの留学生活ブログです

オツムの沸騰

来週に控えた2つのプレゼン、テスト、レポート(全て英語)が、

いつもに増してまーヴをてんてこまいにしています。

どうしていっぺんに来るのよ。

 

 

しかし先日、

そんな課題の全てを吹っ飛ばしてしまうような大事件が起き、

'Kichwa kinachemka'状態になってしまいました。

まーヴの容量のないオツムの沸騰です。

 

 

絶対に忘れたくないので、

まだちゃんとその時の自分の感情を覚えているうちに、

ここに書き留めておきたいと思います。

 

 

先日、授業終わりの空き時間に

E君(タンザニア人)とO君(ボツワナ人)

とまーヴの3人でいつものようにだべっていました。

 

とっている授業が同じこともあって

今セメスターはこの3人でいることが多く、

2人とも私のベストフレンドであると言っていいでしょう。

 

E君は私と同い年の敬虔なクリスチャン、

O君は33歳で無宗教です。

 

 

その日はひょんなことから、同性愛の話になりました。

 

O君:「ボツワナでは違法ではないからゲイカップルが公共の場にたくさんいるんだ。あいつらがいちゃいちゃしているのを見るのはたまらないね。本当にやめてほしい。でもタンザニアでは全く見ないね。いい国だと思うよ。」

 

突然の発言にドキっとするも、E君が何を言うのかまーヴは待ちました。

 

E君:「当たり前だよ。タンザニアでそんな人たちの存在が許されるわけないだろう?本当に気持ち悪いよ。僕は断固として彼らを受け入れられないね!I HATE THEM!

 

まーヴ:「・・・」

 

今までも何度かタンザニアの同性愛者に対する

抑圧は聞いたことがありましたが、O君の言うとおり

タンザニアでは同性同士のカップルを見たことはなかったですし、

実際に友達との間で話題にしたことがなかったため、

あまり深く考えたこともありませんでした。

 

 

O君:「ウガンダでは違法になったことだし、そろそろ他の国もそれに倣うべきだよ。」

 

今年の2月、隣国のウガンダ

同性愛者を終身刑にできる「反同性愛法」が成立したばかりでした。

 

E君:「その通りだ!彼らは本当に正しいことをやっているよ!」

 

まーヴ:「あなたたちそれ本気で言ってるの?」

 

O君&E君:「当たり前だよ!それとも何?まーヴはまさか彼らのことが好きなの?」

 

まーヴ:「好きとか嫌いの問題じゃない。彼らも苦しんでいるのにどうやってそんな人たちのことを’HATE’とか言えるの?」

 

E君:「苦しんでる?彼らの醜態を見せられて苦しんでるのはぼくたち普通の人間のほうさ!」

 

まーヴ:「彼らは自分で選択してそうなったわけじゃないのよ。」

 

O君:「バカ言っちゃいけないよ。自分の決断だ。環境の要因もあるかもしれないけど、生まれつきではない。」

 

これは間違いです。

後天的になる人もいますが、先天的な人だっています。

そもそも先天的、後天的というのは全く問題ではないはずです。

社会的な差別で自己表現ができず、苦しんでいる人がたくさんいるのですから。

 

 

E君:「ウガンダタンザニアのように社会が’いけないこと’だと認識するべきだ。放っておくからアメリカなんかはたくさんいるんだよ。」

 

まーヴの怒りのボルテージはついに爆発。

 

まーヴ:「誰のせいで彼らが隠れないといけないと思っているの?!あなたたちがそんな偏見をもっているからでしょう!それじゃあ、あなたたちは植民地時代に黒人を動物扱いした白人と何も変わらないわね!

 

 

言い過ぎちゃいました。

 

私のこの発言に対して、E君はマジギレ

E君:「Are you stupid???!!!」

と私にため息交じりで言ってくる始末。

 

大人なO君は「やれやれ怒りっぽいなあ~」と、

私に対して考えが稚拙な子どもでも見ているような目。

 

まーヴ:「じゃあE君はもし私がレズビアンだとしたら、友達にはなれないっていうのね?

 

E君:「そうだね、なれないね!

 

まーヴ:「じゃああなたは私の友達じゃないわ!

 

私はレズビアンではありませんが、

ヒートアップしていたため、

E君に友達じゃない!なんていってしまいました。

 

周りにいた人たちは何事かと

びっくりしてこちらを見てきます。

(幸か不幸か場所は多くの学生が集うムディグリーでした)

「え、あの中国人レズビアンなの?気持ち悪い・・・」

という周囲の目線を感じます。

 

 

結局この日はこれ以上何も言わずにE君とは別れてしまいました。

 

 

 

私がぷいっと帰った後、大人なO君は

私を追いかけてきてくれました。

 

「まーヴの言ってることはわかるよ。

でもまーヴはE君がなぜ、ああいう考えを持つようになったのかを考えないといけない。

彼は将来神父になろうとしていたような敬虔なクリスチャンだ。君が知っているように、キリスト教では同性愛は禁じられている。

そしてもしそれが宗教のせいじゃないのだとしても、この社会の風潮もある。

もし彼が今のこのタンザニアの社会で君みたいなリベラルな意見を叫ぼうものなら、彼自身が迫害されるだろう。

そこまで君は考慮しないといけない。」

 

と彼は、まーヴを諭すように、冷静に、落ち着いた口調でのたまわれました。

O君自身も同性愛に対しては反対なのはさておき、

彼の意見は全くその通りで、私もヒートアップして

喚いたことを深く反省しました。

 

 

あれから3日経ちますが、

まーヴの頭はこの同性愛の一件で占領されており、

一人でもんもんとしています。

 

おそらく私と同年代の日本人は、同性愛に限らず、

初等教育でそういうリベラルな意見を

持つように大分教育されたと思います。

そして私は無宗教なので、

クリスチャンやイスラム教徒よりも

新しいものを受け入れやすいのだと思います。

 

 

もしも私が本当に同性愛者だったら

もしも私がそれをタンザニア人の友達にカムアウトしたら

 

と考えると、今までどおりに接してくれなくなるであろう

友人を思って、まーヴは非常に悲しくなりました。

そしてそれを想像するだに、私は彼らと

どう接していいのかわからなくなってしまいました。

だって、私自身が同性愛者になっていた可能性もあるのですから。

 

 

 

同性愛については、

おそらく多くのタンザニア人が

E君と同じ考えを持っていると思われます。

差別の問題は人の心の底に無意識に

植えつけられるものなので、

私がどんなに怒っても彼らの意識は

なかなか変わらないでしょうし、

それに宗教と絡んでくる(というか無理に絡ませてくる)

からまたややこしい問題なのです。

 

でも宗教を持ち出せば何でも許されると思っているのなら

それは大間違いだと思います。

歴史的に宗教によってたくさんの血が流されてきたことを考えるのなら、

そんなお堅いものにしがみついていないで、

新しいものを受けいれる寛容さも必要だと思います。

(世界のキリスト教徒さんごめんなさいね。)

 

 

 

タンザニアのことばかり言いましたが、

日本もまだまだ同性愛者が生きやすい社会ではありません。

私自身が同性愛者ではないので

当事者の文献を読んで想像したにすぎませんが、

日本における同性愛者に対する白い目は

彼らがカムアウトすることを妨げていると思います。

 

 

 

 

高校までの勉強と大学の勉強の違いは、

高校までが答えのある問題を考えるのに対して、

大学では答えのない問題を考え続けなければならないことだ。

 

と誰かが言っていたのを思いだし、

なるほどその通りだな、ふむふむと

一人納得したまーヴでした。

 

 

 

まーヴのオツムの沸騰は終わりそうもありませんが、

そろそろレポートの作成に戻ります。もんもん