まーヴのタンザニア暮らし

アフリカ、タンザニアでの留学生活ブログです

「心から愛しているよ」

寒い。

 

 

タンザニアドドマは超寒いです。

日本の肌寒くなった秋口のような気候のここでは、

朝晩とても冷え込むので、とても半袖一枚ではおれません。

 

 

 

でも、朝起きた時肌がひんやりしていて

毛布を顎まで引き上げたくなる感じとか、

すごく晴れていて雲ひとつない空が

どこまでも高く遠くにある感じが私はとても好きです。

 

 

 

 

 

ドドマには日本人の大先輩を訪問しにやってきました。

お一方はバオバブ石鹸を作られており、

お一方は芋ケンピをつくっておられます。

 

ものづくりとはどうしてこんなに私をわくわくさせるのでしょう。

毎日楽しくて仕方がありません!

わたしも早くアクセサリーを作りたいなあ…。

 

 

 

 

 

さて、この2~3ヶ月わたしと接してくださった方は

わたしが口を開くたびにカシューナッツの話を持ち出すので

大層うんざりされたことと思います。ごめんなさいね

 

 

 

 

しかし、実はカシューナッツのことばかりが

わたしの容量のないオツムを占めていたわけではありません。

そう、タンザニアでやりたかったことの一つに

タンザニアのLGBTI事情」調査がありました。

※LGBTI…レズビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシュアル(B)、トランスジェンダー(T)、インターセックス(I)

 

 

 

 

これを巡って留学中にお友達と大ゲンカしたことは

未だに記憶に鮮明です。

周りの人たちのわたしに対する冷たい視線まで

感覚的に覚えている。

オツムの沸騰 - まーヴのタンザニア暮らし

ようこそ女の花園へ - まーヴのタンザニア暮らし(最後の方に書いてます)

 

 

 

 

 

 

このような経緯があって、この怒りをどうにか自分なりに咀嚼したい、

と思い、卒業論文の題材として「タンザニアのLGBTI事情」を選んだのでした。

(初めに断っておきますが私はストレートです。)

 

 

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タンザニアはLGBTIの人々にとても冷たい国です。

法律では、同性愛は30年以下の懲役と規定されています。

2014年、隣国ウガンダでは

「同性愛行為を繰り返した者には終身刑が課せられる」こととなりましたが、

タンザニアもそれに劣らぬ厳しさで同性愛行為一般を否定しています。

「同性愛を認めないのであればイギリスからの援助はやめます」

というイギリスの主張に対し、キクウェテ大統領は公然と

タンザニアには同性愛の文化はありません」

と述べています。各紙はこの発言を称賛の声で迎え入れました。

(なんということだ。)

 

 

 

 

今年6月末にアメリカでは同性愛者同士の結婚が認められましたが、

アフリカの多くの地域では、そんな欧米西洋の《LGBTIを受け入れる態勢》に

まさに逆行しようとする気迫が伺えます。

タンザニアウガンダだけでなくアフリカ53か国のうち、

同性愛者同士の性行為を犯罪とする法律を制定している国は

38か国にのぼります。

 

 

 

 

 

今回私はタンザニアの調査で、

・街頭インタビュー

・LGBTIの人々を支援しているNGO団体に接触

・LGBTIと呼ばれる人たちへのインタビュー

を行ってきました。

 

 

 

そこから見えてきたことを、

少しここで共有させていただきたいと思います。

 

 

 

現在までで、およそ50人に対し街頭でのインタビューを行ってきました。

対象者は20代~70代までの男女、宗教もキリスト、イスラムとばらばらです。

 

 

 

インタビュー内容はざっくり

①同性愛に賛同するか

②それはなぜか

③今年制定されたアメリカの法律について知っているか

④友達が「同性愛者」になった場合どうするか

 

 

 

 

結果は予想通り、①同性愛に賛同するか

に対しては一人を除いて全員が「No」。

賛同しますという女性に出会ったときは嬉しくて思わず手を取ってしまった。

 

 

 

ご存知の通り私は非常に暑苦しい女なので、

インタビューを始めた当初は、

公然と「No」と言い放つ者に対して、

「なんでよ!ちゃんとロジカルに説明してみなさいよ、ええ??!」

ととても挑戦的な態度で臨み、激昂するのを必死で抑え

挙句私が説教を始める、というなんだか布教活動のような様相を呈していました。

(超低血圧な私にとってはいいことなのだろうか?)

 

 

 

 

いけないわ、これでは灼熱の太陽の下で

体力を無駄に消耗しちゃっていずれ溶けてしまうわ

と思い、最近では胃の下あたりからふつふつと湧き起こる怒りの炎を

なんとか沈め、冷静な顔を作って「へえ~」と聴けるようになりました。

 

 

 

 

私のことはどうでもいい、話を戻します。

②同性愛に反対する理由は何か?

という質問に対してもこれまた予想通り。

二人以外の全員が「Mungu(神)が許さない」。

無宗教の人2人にもインタビューしましたが、

彼らは「タンザニアの文化じゃないから。」

と答えました。

 

 

 

全員に対し、神様以外には理由はないのか尋ねると、

「よくないことだから。」

「人間は男女でペアになるように作られたから。」

「自然の摂理に逆らっている。」

「子どもができない」

という答えが返ってきました。

(わしを納得させる答えは何一つないがな!!!!!)

 

 

 

 

さて3つ目の質問、

③今年制定されたアメリカの法律について知っているか

について。5人を除いてみんな知っていました。

約9割です。

これが制定されたとき(6月)私は日本にいたため

タンザニアではどういう報道がなされたのかはわかりませんが、

先に述べたキクウェテさんの発言しかり、隣国ウガンダの法律しかり

日本に比べれば国民の関心度が高まっていた、という下地はあったと思われます。

 

 

 

「この法律どう思う?」という質問に対しては、

「最悪だ!」「アメリカ人はみんな頭がおかしくなった」

「脳みそがない」「バカとしか思えない」

という散々なお返事でした。

(おい!もういっぺん言ってみろよ!いてこますぞ!怒)

 

 

 

 

最後の質問、

④友達が「同性愛者」になった場合どうするか

について。

私としてはこれが非常におもしろかったのですが、

なんと15人もの人が

「友達をやめはしない」と答えました。

見捨てずに神の道へ導く、と。

(また神かよ!)

 

 

 

あれだけ嫌悪しておきながらも、

友達が実際に「同性愛者」になってしまうとなると

「うううううん」

と悩む人が多かったのが印象的です。

留学中に友達とケンカしたときには

「ゆかがレズビアンなら友達やめる!」

とものすごいショックな一言をものすごい剣幕で言われました。

当然といえば当然ですが、全員がそういうわけではない、

とわかっただけでも今回街頭インタビューしてよかったです…。

 

 

 

 

街頭インタビューする前には、留学中の経験もあり

「同性愛」について聞いてもみんな笑い出してしまって、

まともに取り合ってもらえないだろうと思っていました。

そしてインタビューにも全く答えてもらえない、

ということも覚悟していました。

 

 

 

しかし蓋を開けてみると、

ほとんどの人がとても真剣に私の質問にこたえてくれました。

「同性愛」と聞くだに爆笑しだしてしまい、

とても嘲笑的な目で私を見てきた人はたったの5人だけでした。

 

 

 

同性愛に反対だと主張する人も、

「それじゃあ賛成の君の意見は?どうしてそう思うの?」

と、とても興味深そうに聞き返してくれた人も何人もいました。

私の意見を述べると、

「そうか、僕は彼らについて何も知らなかった」

「勉強すれば意見は変わるかもしれないね」

ととても前向きなコメントをしてくれた人もいました。

(純粋に感動した。)

 

 

 

 

彼のコメントにもあるように、

反対する人の多くは、

同性愛についてほとんど無知です。

学校で教育されることもないし、

テレビで彼らに対するポジティブな意見を見聞きすることもない。

そこに扇動的に同性愛反対の報道がなされ、

自分の宗教でも「悪だと規定」されているとなれば、

《同性愛=悪》というイデオロギーを疑わないのも

しょうがないのかもしれません。

 

 

それでもわたしは、

自分の無知を棚に上げて神を盾にして

同性愛を否定するのはとても卑怯なことだと思います。

神を持ち出せばなんでも許されるなんてそんなのずるい。

イエスさまは、アッラーは、

そんな器の小さい神じゃないはずだ(と信じたい)。

 

 

 

 

世界のあらゆる差別偏見が「無知」に

端を発していることは忘れてはなりません。

新しいものや考えに出会ったときに、

自分のバックグラウンドだけを元に対象を捉えようとすると、

嫌悪という負の感情が生まれてしまうものです。

 

 

 

日本では部落差別の問題を学校で学ぶことになっていますが、

それに対し、

「何も知らないままの方がいい。知ってしまうとそこから差別が生まれてしまう。」

という意見をよく聞きました。

でも私はそれは大間違いだと思っています。

どういう背景があって、その差別が生まれてしまったのか

それを学ばないのでは同じ歴史が何度も繰り返されてしまいます。

 

 

 

自分の意見を信じて疑わないことほど傲慢なことはありません。

タンザニアの多くの人が同性愛者について知ろうという努力もせず、

ただひたすらに彼らを嫌悪しています。

これは植民地時代に白人が黒人を人間だと思っていなかったのと

根本的には何も変わりません。

一体どんな権利があって他人の愛する人について口出しができるのでしょう。

 

 

 

他の国で調査をしていないので比較はできませんが、

今回街頭インタビューをしていてわかったことがもう一つあります。

インタビューでNoと答えた人の大多数が

「彼らはセックスを楽しむために自分で決意して同性愛者になった」

と信じて疑わないことでした。

 

 

当たり前ですが、同性愛とは

ある朝起きて「よーし、同性愛者になろう!」

と決意するようなものではありません。

私は当事者ではないので、文献から得た知識ですが

そこに至るまでには凄まじい葛藤があるのです。

 

 

そんなことは私が卒論で書こうと思う前から

当たり前に知っていたことでした。

これは日本では同性愛者のテレビ露出が多く、

ドキュメンタリーも数多く放映されていることが大きいかと思いますが、

おそらく日本人の多くは私のように少なからずの

同性愛者に関する知識はあると思います。

 

 

 

 

ここからはタンザニアでお友達になったイケメンの(!)

ゲイのお友達に聞いたことです。

 

 

 

彼曰く、タンザニアで最も大変なのはトランスジェンダーの人たちだそうです。

日本語だと「性同一性障害」と呼ばれている人たちです。

(この日本語名もめちゃ失礼だ!)

体が男で女装をしている人たちは、街中でも特に目立ってしまいます。

 

 

 

彼らは道を歩いていても石を投げられたり、

仕事に就けなかったり、

病院に行っても医療サービスを受けられなかったりします。

「僕はただのゲイだからノーマルを装っていれば生きていけるけど、

トランスジェンダーの人たちはそうはできないんだ。」と。

 

 

なんて辛い世の中なのか。

彼らの気持ちなんて実際にその立場になってみないと

絶対にわからないのだと思う。

 

 

そしてゲイとして生きている彼だって辛いだろうに、

トランスジェンダーの友達を思って悲痛な表情を浮かべる彼は、

神にも値する真に慈愛に満ちた男だと思います。

 

 

 

 

彼は続けて言いました。

「ノーマルな人が異性を愛するのを当然と思っているように、

僕らゲイは男を愛すること以外考えられないんだ。

セックスを楽しむためにゲイになったなんてとんでもない。

僕は心から彼氏のことを愛しているんだよ。」

 

 

 

 

タンザニアよ、彼の言葉に耳を傾けてほしい。

この切ない叫びに。

 

 

 

彼がここタンザニアで、公に向かって

自分を主張できる日は一体いつやってくるのでしょうか。

きっといつの日か、タンザニアでも理解される日がやってくることを願います。

 

 

 

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ドドマの夕暮れをバックにしたそびえ立つバオバブの木