まーヴのタンザニア暮らし

アフリカ、タンザニアでの留学生活ブログです

立ちはだかる壁、二度目のキリマンジャロ

私にとっての一度目のキリマンジャロは約二年前のキリマンジャロ登山でした。

 

 

その時のまーヴは不運にもひったくりで血まみれ、バス転倒事故で負傷、

と、心身共に並々ならぬ状態でキリマンジャロ登山に臨み、

想像通り高山病にかかり、大泣きしながら登頂したのを覚えています。

 

 

 

そして2度目のキリマンジャロへの挑戦は今月2日に行われました、

その名も『キリマンジャロマラソン』。

 

 

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 どん!

 

 

といってもキリマンジャロを登るコースではなく、

ふもとを、美しいキリマンジャロを眺めながら走るコースです。

 

 

 

 

まーヴが準備を始めたのは約半年前で、

できる限り毎日走りたい、と思ってはいたものの、

マラリア、腸チフス、尿路感染症といった

病気に幾度となく苦しめられ、練習はなかなか思うようにいかず。

 

 

しかも大会の1週間前にサッカーボールが眼球に直撃し、

目がボコボコに腫れ上がった時には「もうムリぽ。」

と本気で絶望しました。

 

 

タンザニア人の友達にも

「お前走れんの?(笑)(笑)(笑)」

と幾度となくバカにされ続けたまーヴ23歳の挑戦であります。

 

 

ダル大に留学しているまちこ殿も、半ば無理やり(?)巻き込んだ形で一緒に走ることになりました。

 

 

 

大会前日、コースの下見のため自転車をレンタルしてサイクリング。

 

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↑まさかのタンザニアでチャリ族デビューして嬉しそうなまーヴさん。

 

 

 

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続くよ森道~。↑まちこ殿

 

 

 

「え、これ足で明日走るの?」

「そうみたいです・・・。」

チャリでコースを辿っただけで、上り坂の激しさに恐れをなすまーヴ・・・。

 

 

 

噂には聞いておりましたが、キリマラソンのコースは開始20キロ地点から30キロ地点、

つまり約10キロに渡る超過酷な上り坂が待ち受けておるのです。

 

 

 

 

しかも途中の山道はもはやトレッキングロードに等しい。

制限時間は6時間だし、もはや走り切れるかどうかか問題だわ・・・。

 

 

と不安を募らせ迎えた当日。

開始は朝6:30だったので、4時起きです。

運がいいことに当日は曇りで、いつもより気温も低い模様。

 

 

会場に着くと、我こそ走るために生まれてきたのであります、と言わんばかりのとんでもなくしなやかで長い脚を持つ黒人選手がわんさかいました。

 

 

彼らを見ていると、同じ会場に自分がいることがものすごく申し訳なくなってきて、

「場違いすぎる、帰りたい、布団に包まりたい。」

と頭の中で念仏のように唱えてスタート時間を待つハメになりました。

 

 

そんな私を勇気づけるように、他の日本人参加者が何人か話しかけてくれました。

私たち以外に日本人はおそらく20人くらいいたと思われます。

 

 

普段は時間にルーズで、「ポレポレ」タイムを刻むタンザニア人ですが、

この大会では主催者が欧米人であることもあってか、皆時間前行動でした。

スタート前にはカウントダウンもされ、そのことにまーヴはとても感心しました。

タンザニア人、やればできるんじゃん!)

 

 

 

 

さて、開始からハーフ地点までは順調に走り続けていたまーヴ、

あの上り坂ゾーンに入り、それまでのペースで走れなくなってきました。

 

前方彼方に遠のくまちこ殿。

催す尿意。

ずれるコンタクトレンズ

やたらと乾く喉。

落ちてくるパンツ。

照りだす太陽。

 

 

25キロ地点からついにワタシは歩き出してしまいました。

それからは徒歩とランニングを交互に何とか歩を進めていきます。

 

 

30キロ地点に差し掛かったところで給水ポイントが前方に見えました。

トレッキングロード後のその光景は、まるで蜃気楼のように私の目に映りました。

 

 

やたらとテンションの高いガチムチの西欧人のおじさんが、

”Good! Good! Gooooood!”

と満面の笑みをたたえて、おそらく見た目はずたぼろであったであろう私に向かって、水の入ったコップを2つ差し出してくれました。

身体は疲労しきっているはずなのに、なぜかその時のワタシは自分でも想像できなかったようなガッツあふれる笑顔を返して「サンキュー!」と叫び、(それには自分が一番驚きました。)その時に自分の中で何かがプチっと音を立てたのが聞こえたようなそんな気がしました。

 

そこからまーヴの大ばく進劇が始まり、おそらくこれがランナーズハイというやつだと思いますが、練習の時よりも幾分か速いスピードを保ったまま、走り続けることができました。ハイテンションおじさんありがとう。

 

 

ラスト3キロ地点で、はるか昔にワタシの視界から姿を消したまちこ殿に追いつきました。

 

そこからが本当の地獄の始まりで、疲労もピークに達し、足の痛みも痛みとは認識できないくらいに痛くなってきていました。

練習でずたぼろになっていた私の足のまめは、そのころから存在を主張しはじめ、一歩踏み出すごとにずきずきと私を痛めつけます。

そこで追い打ちをかけるように最後の上り坂。

「もう嫌だ、なんでこんな辛いことやってんだろう・・・」

という思いが一度浮かんだが最後。

張っていた気が緩んだとたんに、涙があふれてきて、悪いことには鼻水まで出てきました。

すするのに一生懸命になって、うまく呼吸ができない始末。

ああ、これが辛くて涙が出るということか、と頭でぼんやり考える。

そういえば辛くて涙するのは2年前のキリマンジャロ以来だなあ。

ああ、これもまたキリマンジャロか。

キリマンジャロは過酷だなあ。

 

 

 

ゴールも近いというのに車が普通に走っていて、走者の私たちが車両を避けないといけないのには参りました。

ひどく疲れていたので、走りながら、鼻水をすすりながら、このやろうめ、と思ったのを覚えています。

 

 

 

ゴール地点のスタジアム内に入ると、そこは正しくオリンピックで見るような光景でありました。

スタジアムに入った私たちに鳴り止まぬ歓声。

観客席を埋める大勢の人々の笑顔。

 

そしてまちこ殿とまーヴはみんなの拍手喝采に包まれ、遂にゴールしたのでありました。

タイムは4時間50分。

目標だった5時間を切ることができました。

 

 

 

ゴールしてからは達成感でしばらく放心状態。

身体はゾンビ状態でうまく歩けない。

 

 

 

これ以上もう走らなくていいのか、と思うと気が楽であるのと同時になんだか寂しい。

 

 

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当日は日の丸を背負って走りました。

”「ワタシは中国人じゃナイアルヨ!日本人ネ!」”

と書いてあります。

 

 

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500位以内に入ったらしいので、メダルをいただきました。

 

 

キリマンジャロには二度と登りたくない。

と思いましたが、

キリマンジャロマラソンにも二度と出たくない。

と思うまーヴでした。