まーヴのタンザニア暮らし

アフリカ、タンザニアでの留学生活ブログです

学校ときどき遺跡のちスタック

「アフリカ」と一口に言えど、そこには異なる歴史をそれぞれに歩んできた

54もの国があるように、タンザニアと一口に言えど、

その国内にも地域により様々な顔のタンザニアがあります。

 

 

日本の約2,5倍の国土面積があるこの国には、

イスラム教キリスト教の二大宗教があり、

宗教の自由はあれど、

イスラム教徒の土地は結果として開発が遅れてしまっている

という事実があります。

 

 

そんな地域の一つであるムトワラと、遺跡が観光資源のキルワに行って参りました。

 

 

私がインターンをしているJATAツアーズで

まーヴはありがたくも添乗の命をいただいたのであります!

(といってもこの土地へ行くのは初めてでした)

ここでは私のC級な活躍ぶりはさておき、

私の見たもの感じたものをぽつぽつ載せていきたいと思います。

 

 

 

 

まずはムトワラですが、

ここはモザンビークと国境を接する、タンザニア南部の地域です。

ダルエスからはバスでも行くことができますが、

大雨の影響で道路状況があまり芳しいものではなかったため、

りっちに飛行機でぶーんとひとっ飛びです。

 

 

 ムトワラの名物と言えば、カシューナッツ天然ガスです。

カシューナッツの方はタンザニアで生産量一位を誇り、

そのお味も他の地域とは一線を画しているといいます。

まーヴも試しに買って食べてみましたが、めちゃくちゃ

甘くておいしかったです。ワインのお供にしたいと思いましたよ。

 

 

天然ガスの方は、

現在もなおダルエスへのガスパイプライン建設中で

それを巡ってムトワラで暴動を引き起こしたりしている、

 タンザニアでもホットな話題です。

今月22日はその暴動一周年記念日だそうで、

大使館から注意勧告のメールをいただきましたよ。

 

 

 

さて、そんなムトワラでまーヴ一行が訪れたのは

カシューナッツ畑でも暴動集会でもなく、

小学校と幼稚園でした。

 

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こちらの幼稚園は町はずれの森を抜けた中にありました。

数年前に村のボランティアによって作られ、

先生の代替わりがあった今もなお、ちゃんと続いていました。

 

村の方では町に比べ、教育の重要性の認識にやはり差があると言います。

そんなでところで村の人たちから理解を得て集金するのは、

それなりの労力を伴ったであろうことは容易に想像できます。

 

しかしこの幼稚園が素晴らしいのは、

この建物に数年前に比べて変化があったところです。

ここの土地に詳しい方に案内をお願いしたのですが、

壁ができた!と喜んでおられました。

昔は木の骨組みだけだったのが、

壁ができて、黒板がついて、

子どもたちが学びやすい環境になっています。

後退でもなく、停滞でもなく

前進です。素晴らしいですね。

 

NGOのボランティアによる活動は学校に限らず、

その活動の「継続」こそが最も重要かつ難しいこと

だと、まーヴは思います。(半分自分に言い聞かせている

子どもたちの将来のためにも、

これからも継続した活動頑張ってほしいです。

 

 

お次は小学校。

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タンザニアの小学校教育は無償で受けられることになっています。

しかし実際には、政府から学校に支給されるお金では十分でなく、

保護者からの寄付で経営が成り立っていることが多いのです。

 

授業に必須なチョークをはじめ、

子どもが勉学に集中できるように給食を配給したり

そのためのキッチンを整備したり。 

それら学校経営に関わるすべてのことが、

校長先生に任されているのです。

つまり、校長先生のマネージメント能力がダイレクトに

その学校の教育ひいては運営にまで掛かっているのです。

 

我々が訪れた学校の校長先生は敏腕経営者だったようで、

政府からの資金で賄いきれない分を、

毎日のように自分の足で生徒の家を回り

集金を呼びかけているのだそうです。泣けるわ

 

まーヴたちも去り際

「個人からでいいんだ、ほんの少しだけでも助けてもらえると嬉しいよ」

と集金を呼びかけられましたよ。敏腕!

 

小学校は一クラス45人が上限とされていますが、

この学校には一クラス90人いました。

そんなにいたのじゃ子ども一人一人に目が届かないだろうし、

結果として教育水準も下がるでしょう。

問題は、子どもの多さに先生の数が追いついていないというところ。

 

タンザニアでは先生になると、

政府によって自分の意向に関わらず国内どこでも飛ばされます。

つまり、ダルエスで勤務したくても、

「ムトワラへ行け!」と言われれば従うしかないのです。

そんな流刑に処された先生たちが

「じゃあ辞退させていただきます。」

ということも珍しくなく、それも先生不足の要因だといいます。

僻地に飛ばされる先生は給与多めにする、とか

なんか対策があればね・・・。

アフリカの中でも比較的識字率の高いタンザニアでも、

学校教育はまだまだ問題が山積みなのだと

自分の目で見て実感しました。

 

 

さて学校見学のお次は、

大音量のボンゴフレーバと共にバスで揺られること2時間。

ムトワラの北部にあるキルワで遺跡めぐりです。

 

 

キルワはその昔交易地として栄えており、

14世紀にイブンバットゥータが訪れた際には

「世界で最も美しい町だ!」と称賛したという、そんな土地です。

 

 

まずはキビンジという村から。

18~19世紀には奴隷の積出港としても栄えていたこの地域は、

奴隷貿易に従事していたアラブ人の家や、

奴隷市場がそのまま残っています。

 

 

歴史的には重要かつ保存に値するものだと

わたくしは思いますが、

観光地化が全く進んでおらず、寂れたこの町には

「保存」という概念が存在しないようでした。

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↑寂れた建物

 

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ザンジバル風ドア

 

ザンジバル風の木彫りのドアの中を覗くと、

そこにはミシンで洋裁をしているおじいちゃんがいたり、

木の蔓に侵された壁が壊れかけていたり、

更に悪いことには、大量のごみ捨て場になっているところもありました。

 

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↑建物の中のごみ

 

歴史的建造物は廃れてしまってからでは遅いのだから

もう少しなんとかしてほしい、と思いますが

保存よりも先に解決すべき問題があってこそ

この状態があるのだと思うと暗澹たる気持ちになります・・・。

 

 

キビンジ村のお次は

世界遺産にも登録されております

ソンゴムナラとキルワキシワニの遺跡群へ。

ソンゴムナラとキルワキシワニは別々の島なので、

船で渡っていきます。

 

まずはソンゴムナラへ。

ソンゴムナラはキシワニよりもさらに奥に位置する島なので、

観光客もあまり訪れないのだといいます。

島に着いてから遺跡までの道のりは

絵本に出てくる天国と地獄のような景色でした。

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 ↑太陽の光に反射する真っ白な砂が足元に広がる

 

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マングローブ林の中を裸足でずんずん歩く

マングローブのどす黒い幹の色が私に地獄を連想させるのですが、

粘土質の泥の上を水に浸った裸足で歩くのは最高に気持ちよかったです。

 

 

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遺跡にはところどころ補修の跡が見られました。

これはフランスの援助によってなされたそうです。

壁にはところどころモスク型の装飾が見られ、

イスラーム文化がしっかり根付いたことが窺えます。

 

 

お次はキルワキシワニへ。

キシワニもソンゴムナラ同様、

マングローブ林を抜けたところに遺跡があります。

 

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↑大モスク跡

 

11世紀に最初に建てられたこのモスクは、

14世紀に入り、キルワが栄華を誇った時代に拡張されました。

天井には装飾の名残を見ることができ、

当時のキルワの繁栄が想像されます。

 

 

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↑宮殿跡

 

中ではたくさんのコウモリさんたちが私たちを待っていてくれました。

スルタンの宮殿も今ではコウモリさんたちの住処なのです。

 

 

ソンゴムナラ同様、至る所に補修の跡が見受けられました。

危機遺産にも登録されてしまったキルワの遺跡群、

キシワニはユネスコによって補修されているそうです。

 

遺跡の壁をよく見ると、珊瑚の跡がありました。

珊瑚を溶かして石灰で固めて作るのだそうです。

(あまりよく理解していない・・・)

でもコンクリじゃないってすごいね!

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↑遺跡とヤギ

遺跡のすぐそばには民家があり、

そこから出てきた牛みたいなヤギさんが

のんびり草を食んでおられました。なごむね~

 

 

足場の悪い道をひたすら歩き、

最後にようやく着いた宮殿の上から臨む景色は本当に素晴らしかったです。

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ここからスルタンさまも

コバルトブルーの海とそこで貿易に勤しむ人々を眺めていたのかしら。

 

 

この宮殿のゲストルームは100以上もあったそうで、

大浴場、プールも備えられていました。(下に降りて海で泳げよ・・・)

朽ちた宮殿跡から、その装飾は想像することができませんが、

この当時の東アフリカの建物では

他に類を見ない華麗な建物だったそうです。

三大陸を回ったイブンバットゥータさんが言うのですから

きっと本当に栄えたバブリシャスな街だったのでしょう。

 

 

帰りはダウ船に乗せてもらいました!

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↑風の力だけで進むダウ船

 

船にはひしめくほど人が乗り、沈没しないか心配でしたが、

少し浸水していただけで、15分で無事に島を渡ることができました。

 

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↑ダウ船の帆

 

 

 

キルワからダルエスへの戻りはバスでしたが、

連日の大雨ですっかり悪くなってしまった道で

トラックがスタックしまくり。

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↑私たちのバスの前でスタックしたトラック

 

 

そして車が動かず暇を持て余したママたちが

ここぞとばかりに魚やらを売りに外に出てきます。

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↑わらわら

 

 

ついでに私たちの乗っていたバスもスタックしました。なんでやー

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↑そしてわらわら

 

 

タンザニアではあるあるなのでしょうが、

タンザニアにやってきて7カ月のまーヴは

バスのスタックは初体験でした。

ダルエスはタンザニアの大都会なので

道路の舗装が進んでおり、普段の大学生活では

道の悪さに悩ませられることはありません。

 

 

一時間以上動かない車を前に

文句を言う人なんて誰一人おらず、

むしろこの状況を楽しんでいるようでした。

わらわらと出てきた人のほとんどが笑っていて、

「さーみんなで引っ張るぞー!おい、お前も手伝えよー!」

と満面の笑みで声をかけてきます。

 

 

タンザニアでは嫌なことも多いけども

こういう場面を見ると、

やっぱりいい国だなあ~

としみじみ思うまーヴでした。

 

 

 

教育問題、遺跡保存、道路舗装

今まで見ることのできなかったタンザニア

見ることができ、非常にお勉強になりました。

ムトワラ・キルワ旅行記、おわり。