アパルトヘイトミュージアムへ
南アフリカに来てアパルトヘイトミュージアムに行かないわけにはいかぬ、ということでまーヴも例に漏れず行って参りました。
ゲストハウスから博物館までは遠く、タクシーをハイヤーするよりもツアーにした方が安かったのでツアー参加しました。
(そのツアー私一人だったから貸し切りだったんですけどね)
まずはCalton centerというアフリカ最高の建物で景気付け。
キリマンジャロに続きこれでまーヴはアフリカビッグ2を制覇したわけです。えっへん
ヨハネスの街を一望した後はソウェトへ。
ソウェトとはSouth Western Townshipの略ですが、住民は'So Where To?'(それでどこへ?)と称するそうです。
その歴史は金鉱が発掘された時に遡りますが、アパルトヘイトの際に迫害された黒人の辿り着く最後の土地でもありました。いわゆるスラムです。
という前知識を持って行くと、思ってたより街は整備されていて綺麗な家も沢山みるし、あれ?という印象を受けます。
これはアパルトヘイト廃止後に外国からの援助や国の政策によって建てられたものだそうで、その中には日本の援助によって建てられたものもあります。
ソウェトの中でも貧富の差があって、そういうところはいわゆる中流階級の人の家だそう。
少し車を進めるとスラムがみえて来ました。この辺には水も電気もないそう。
格差はどこまでも広がります。
↑バンジージャンプ台
かと思いきやこんな派手なものもあります。
そういえば日本のテレビ番組でおバカなタレントがやってるのを見たことある気がします。
そしてソウェトの中にあるマンデラハウスへ。
かなり観光地化されていて周辺のお店もとても綺麗なのですが、マンデラが住んでいた当時は酷かったそう。
ここで彼は闘っていたのですね。
ソウェトを後にしてHector Pieterson博物館へ。
彼はごく普通の少年に過ぎませんでしたが、殺されたことによりその写真が世界中に広まりアパルトヘイト運動の象徴になりました。
しかもそれが後からやって来た白人によって、白人の言語(アフリカーンス語)を強要されるのですから現地人はたまったもんじゃありません。
博物館では当時の写真やビデオを見ることができました。
アパルトヘイトに関する映画は日本でも今まで何本か観たことがありましたが、やはり何度観ても憤りを感じて、どうしても涙が出て来てしまいます。
写真は歴史を語ります。
あんなに小さな少年が、自分の言語を守るために意見を表明するだけで殺されてしまう、そんな世界がつい最近までここにはあったという事実を受け入れなければなりません。
そして最後はアパルトヘイトミュージアムへ。
↑入り口の有名な"白人用"、"黒人用"のゲート
なんでも回るのに時間がかかると聞いてはいましたが、結局私は4時間近くかけて回りました。
「肌の色が違うのだから、それによって区別をするのは当然のことだ!」
と声高に演説する大統領に、大勢の聴衆が拍手喝采する時代がごく当たり前のように、私が生まれた後の世界にあったのです。
全くもって信じられないようなことですが、事実あったのです。
歴史は変えられません。
今私たちができることは、過去を学び、二度と繰り返さないと誓うことだけです。
差別についての歴史を学ぶからこそ差別が生まれる。知らなければ差別をせずに済む。
という人もあるかもしれません。
でもそれは違うと思います。
差別を受けて苦しんだ人たちを、それによって亡くなった多くの人たちを、私たちは無視してはいけないし、その差別が何によって生まれてどう利用されたのか知る必要があります。
次の差別を生まないために。
日本人にとってアパルトヘイトは遠い国の出来事かもしれませんが、当時の南アフリカの一番の貿易相手国だった日本が、アパルトヘイトを積極的にとは言わないまでも肯定、援助していたことは私たちも知っておくべきだと思います。
私たちだって加担する立場にあったのです。
日本の歴史の授業は本当に全くと言っていいほどアフリカの歴史については教えてくれません。
そういうことをちゃんと学校でも教えてほしいです。アフリカは遠くないし、私たちにも無関係じゃない!
と、ここまでがツアーで回ったところです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ナイロビ滞在中にテレビを観ていたら流れてきたこのPV。
一瞬にしてまーヴは恋に落ちました。
そして彼らについて調べまくっていると、なんと私のヨハネス滞在中にライブをやるではありませんか!
幸運なことにまーヴはチケットをゲットし、ライブ参戦に成功しました。
彼らはソウェトの出身で、「周りに楽器なんてないから自分たちで歌うしかなかった」と述べていました。
それを聞いただけて私の涙腺は崩壊しそうなのに、彼らの生の歌声は私の想像を軽く凌駕していました。
彼らの曲の中に"Asante sana"というスワヒリ語の曲があります。
私の隣でも涙腺を崩壊させた女性がいましたが、それくらいに私も感動して鳥肌立ちっぱなしでした。
道具なしに人を感動させて、踊らせて、楽しませるってなんて素晴らしいのでしょう!
ああ、本当に、信じられないくらいイケメンでした。
ヨハネスブルグの巻、ちゃんちゃん